ジャパン・ブルワリーが設立されたのは1885(明治18)年7月です。1884(明治17)年のスプリングバレー・ブルワリーの売却後、日本でのビールの広まりを受けて、在留外国人の間でこの跡地に新会社を設立する動きがみられました。その中心となったのが、「ジャパン・ガゼット」のオーナーであるウィリアム・ヘンリー・タルボット(William Henry Talbot)と、証券・金塊ブローカーのエドガー・アボット(Edgar Abbott)です。2人は新会社設立に賛同した数名の外国人を加えて、1885(明治18)年5月初旬に新会社の設立準備委員会を開催し、6月に「仮設立趣意書」(PRELIMINARY PROSPECTUS、6月26日付)を作成、配布しました。そして7月8日に最初の重役会が行われました。
7月8日の重役会では「バターフィールド&スワイヤー商会」のオーナーであるジェームズ・ドッズ(James Dodds)がチェアマン(Chairman)に選任されるほか、主に次のことが議決されました。
- 会社名はザ・ジャパン・ブルワリー・カンパニー(The Japan Brewery Company)とする。
- 資本金は1株100ドルの500株、50,000ドルとする。
- 醸造技師は資格あるドイツ人とする。
- 会社を有限責任会社として、英国か香港に登録する。
その後7月13日、16日の2度の重役会を経て、21日に「設立趣意書」が審議・採択されました(7月22日発行)。そこには社名をジャパン・ブルワリー・カンパニー(Japan Brewery Company)とすること、香港で出願し香港法人になったこと、設立に至った経緯について、仮重役会の構成について、土地・事務所について、ドイツ式醸造法を採用するため熟練したドイツ人醸造技師を雇い入れること、株式の公募についてなどが記載されています。