番外編
偽造ビール問題
ジャパン・ブルワリーを時折悩ませていたのは、「偽造ビール」でした。ある会社(ときには個人)がジャパン・ブルワリーのびんにビールを詰め、それを「キリンビール」として販売しているというものです。1889(明治22)年6月20日、1891(明治24)年9月11日、1898(明治31)年3月8日などの重役会では、この件について話し合われています。ときには裁判沙汰にもなっていたようです。
コープランドの死
フランク・スコット・ジェームズ
ジャパン・ブルワリー専務取締役
1902(明治35)年2月12日の重役会では、スプリングバレー・ブルワリーの創設者であるウィリアム・コープランド(William Copeland)の訃報が告げられました。チェアマンのドッズが次のように発言しました。「2、3週間前、コープランド氏が夫人と共に南アメリカから日本にやってきたが、大変貧乏な状態で、しかも病身であった。彼はスプリングバレー・ブルワリーの創設者で、その地所に現在ジャパン・ブルワリーの施設が立っているのだから、彼に対して会社からいくらかの援助が出されるべきであろうと考えた。そこで先日、ジェームズ(フランク・スコット・ジェームズ(Frank Scott James、当時のジャパン・ブルワリー専務取締役))を伴って、コープランドの世話をしているイートン(ジョン・レイサム・オーウェン・イートン(John Latham Owen Eyton))を訪ね、コープランド療養のための費用は会社が負担すると決めてきた。しかしコープランドは昨夜突然亡くなってしまった。それゆえ葬儀のための費用は会社が負担するべきである」。この提案は会議で承認されました。
同年3月11日の重役会では、ジェームズから葬儀とその他の費用が198円5銭であったと報告され、あわせてコープランド夫人からの感謝状が読まれました。なおコープランドは横浜・山手の外国人墓地に埋葬されました。
フランク・スコット・ジェームズ
ジャパン・ブルワリー専務取締役