ビール工場見学のはじまりとその歩み
ビールのつくり方や楽しみ方を学べるビール工場見学。日本でビールが飲まれ始めた頃は、とても貴重な体験だったようです。現在、全国に9ヶ所あるキリンビールの工場には、年間80万人弱が訪れています。今や人気レジャースポットの1つとなったキリンビールの工場見学の歴史をご紹介します。
岩倉遣外使節団は、首席全権大使の岩倉具視のほか大久保利通、木戸孝允、伊藤博文らも加わった当時の一大国家プロジェクトでした。彼らは、日本を近代国家へと成長させるため、ビール醸造にも関心を持っていたようです。
使節団一行は1872(明治5)年10月にイングランド中部バートン市にあるオールソップ社のビール工場を視察しています。その製造工程を詳しく観察し、高い関心を持っていた様子は、1878(明治11)年に刊行された使節団報告書『特命全権大使米欧回覧実記』に書かれたビール工場見学記から伝わってきます。
関連情報
1889(明治22)年8月18日の『時事新報』に、キリンビール製造所を見学した人の話として、「…引割麦は上より落ちて甲の釜に入り熱湯は管より迸出(ほうしゅつ)して廻轉(かいてん)しながら麦に灌(そそ)ぎ夫(それ)より管を通じて乙の大いなる釜に入ればホップを投入して非常に沸騰せしめたる後ち再び管を通して次の室に至り…」と製造工程が事細かに書かれた記事が掲載されています。この記事は横浜の山手にあったジャパン・ブルワリーというキリンビールの前身会社の工場について書かれたもので、現存するキリン社内の資料の中で工場見学について書かれた一番古いものとなります。
キリン社内の資料として、1933(昭和8)年の工場見学のパンフレット「工場巡り」が残っています。工場見学がはじまった理由などは記録がなく不明なのですが、関係者やお取引先様のみと限定して行っていたようです。横浜工場以外にも、1938(昭和13)年の仙台工場のパンフレットが残っています。「工場巡り」には、ビールの製造工程がイラストで丁寧に説明されていて、見ているだけでも楽しいパンフレットです。
*パンフレットにカーソルを合わせると拡大します。
横浜工場の「工場巡り」パンフレット(一部)
明治100年にあたる1968(昭和43)年。この100年のビールを振り返る、「目で見るビール百年展」という企画展をキリンビール広島工場が開催。そのイベントの一つとして、広島工場で市民のための工場見学ツアーをはじめたところ、口コミで日に日に来場者が増え、13日間で参加者が約4万人となりました。次いで、仙台工場でも同様のイベントが開催されました。工場見学、パネル展示、試飲会といった内容が大変好評でした。この広島工場でのイベントがキリンでは一般の方を対象に行った工場見学のはじまりとなりました。
その後、工場見学の受け入れを本格化して、各工場での見学の内容を統一し、1975(昭和50)年には、全国で年間20万人以上の来場者を受け入れるようになりました。
キリンビール工場ツアーで、ビールの製造の工程から、おいしいビールの飲み方までを解説している、色とりどりのツアーガイドの制服も、時代の流行などを取り入れながら変化してきました。制服の一部をご紹介します!
1968年
1970年
1971年
1983年
1994年
現在
現在は全国9ヶ所のキリンビールの工場で、工場見学を行っています。 一番搾り麦汁と二番搾り麦汁の飲み比べや、麦芽の試食、ホップの香りを体験できるツアーです。ツアーの最後には、工場見学がはじまって以来、ずっと続けている、できたてビールの試飲もあります!