日本を近代国家へと成長させるべく、明治政府は西洋の諸制度を取り入れるとともに、その産業や文化の導入を急いだ。そして、殖産興業政策の一環としてビール醸造にも関心を持った。
1871(明治4)年11月から1873(明治6)年9月にかけて欧米の制度や産業を視察した
岩倉遣外使節団は、首席全権大使の
岩倉具視のほか
大久保利通、木戸孝允、
伊藤博文らも加わった当時の一大国家プロジェクトであった。使節団一行は1872(明治5)年10月にイングランド中部バートン市にあるオールソップ社のビール工場を視察している。その製造工程を詳しく観察し、高い関心を持っていた様子は、1878(明治11)年に刊行された使節団報告書『特命全権大使米欧回覧実記』に書かれたビール工場見学記からも伝わってくる。
実際に政府は官営のビール醸造所開設に着手し、1876(明治9)年に開拓使麦酒醸造所が札幌に設立された。この醸造所は1877(明治10)年に冷製「札幌ビール」を発売するが、やがて民営化されて現在のサッポロビールの前身となる。