オランダ人
ヘンドリック・ドゥーフは1799(寛政11)年、長崎・出島にあったオランダ商館付きの筆者頭として来日した。1803(享和3)年にはオランダ商館長となり、1817(文化14)年までの14年間商館長をつとめた。歴代の商館長の中でも最も長く日本に滞在し、周囲の日本人とも良好な関係を築いた人物だったことで知られる。
そのドゥーフが、自らビール醸造に取り組むのは1812(文化9)年のことだ。この前々年、ナポレオンの支配するフランスがオランダを併合したため、オランダからの定期船の便が途絶え、貿易品のみならずオランダ人商館員のための飲食物や日用品も手に入らなくなってしまっていた。最低限の食べ物や飲み物は、周囲の日本人の助けもあってなんとか入手できたものの、ビールをはじめとする洋酒は、まだ日本では手に入れようがない。そこでドゥーフは自らビール醸造を試みたのである。
ドゥーフがオランダ帰国後に著した『日本回想録』には次のように記されている。
ショメールとバイスの家庭百科辞書により、私は白っぽいハールレムの白ビール、モルの味のする液体を得るところまで行ったが、これを十分発酵させることはできなかったので、三、四日しか保たなかった。私は又、苦みを加えるホップを持たなかったので、これをこれ以上長く保存できなかった。
(『ドゥーフ 日本回想録』/永積洋子訳)
ドゥーフが参考にした家庭百科辞書はショメール編『家政百科』のオランダ語版であった。のちに、この『家政百科』を蘭学者の大槻玄沢、馬場貞由らが日本語に翻訳し、『厚生新編』として現在も残されている。