ビール工場での「利き酒」
日本を離れた使節団は、アメリカ・サンフランシスコでの滞在を経て、翌1872(明治5)年8月にイギリスの商港・リバプールへ到着した。1カ月ほどロンドンに滞在してエリザベス女王への謁見を待ったものの機会が得られず、時間を無駄にすまいとばかりにイギリス各地への視察旅行へ出かけている。
西洋の近代技術をじかに調査することを目的の一つと考えていた使節団一行は、各地で様々な工場を視察した。使節団の一員・久米邦武による公式報告書『特命全権大使米欧回覧実記』には、紡績工場や鉄工所、造船所や製糖工場などとともに、バーミンガム近郊に訪ねたビール工場の様子が記されている。
それによれば、工場の敷地は20ヘクタールもあり、中には汽車が走っていて、それ自体がまるで街のようであったという。一行はそこで、麦芽の製造から麦汁の抽出、醸造まで、ビールの製造工程をじっくりと見学することができた。
3時間にわたる見学が終わると、ビール各種がパンやチーズとともに運ばれ、「利き酒」の時間となった。味見をした岩倉が通訳を介して「強いビールが一番うまい」などと感想を述べたのを、周りで見ていたイギリス人たちはしきりに面白がったという。
イギリスを離れた後も、使節団はヨーロッパの10カ国を歴訪し、ベルギー、オランダ、オーストリア、そしてビールの本場ドイツなど、各地でビールの醸造や消費状況に興味をひかれていたようだ。『回覧実記』にも「ベルリンの公園には必ずビヤホールがあり、男女が小さなテーブルを挟んでビールのジョッキを傾けている」と描写され、また、ビール好きなイギリス人でも一人の年間平均消費量が100Lであるのに、ドイツ人が平均400Lを飲むことに驚嘆の声を上げている。ドイツでは宰相ビスマルク主催の宴にも招かれているので、ビールのジョッキを掲げての「乾杯」を経験する機会もあったことだろう。
『回覧実記』では、ヨーロッパのビール産業について下記のように記されている。
いまヨーロッパでビール醸造が盛んなのは、英国、ドイツ、オーストリア、およびベルギーの各国であり、それぞれ努力している。われわれが見た工場の広大さを見ても、この産業がいかに盛んかがわかるというものである。 (久米邦武編著、永澤周訳注『特命全権大使米欧回覧実記』/慶應義塾大学出版会)
西洋の新しい技術に目を見張りながら、岩倉らはビール醸造の技術をはじめ、西洋の近代技術をどのように日本にとり入れ、日本の近代化に結びつけていくか、懸命に思索をめぐらせていたことだろう。