明治から大正期にかけて、鉄道は西洋文化を地方へと運ぶ役割を担っていた。鉄道によって人と物が運ばれると、都市から地方へ西洋からの新しい知識が広がっていった。他の文化と同様に、ビールも鉄道が伸びるにつれて各地に普及していったのである。
1872(明治5)年9月12日に新橋〜横浜間に日本初の鉄道が開通した。当時は1日9往復で、運転時間は53分であった。
鉄道開通式の模様を伝えた『東京名勝図会 巻之上』では、当時の待合室について次のように述べている。
「舘中掲示するに汽車の規則書あり出車の時限表あり賃銀表あり又洋物洋酒を鬻(う)る店もありて毫(すこし)も待車の衆客をして倦(うむ)ことを無らしむ」(『東京名勝図会 巻之上』)
駅の待合室で洋酒が売られていたことが伺えるが、当時はビールも「洋酒」と呼ばれていたことから、この中にはビールも並んでいたと思われる。明治初期になるとビールの輸入量は増え、日本人にとってビールは洋酒の中の代表格的な存在であった。のちに鉄道が各地に引かれた際、車内販売や食堂車でもビールが販売されるようになり、鉄道はビールを単に運ぶだけの役割ではなくなるのである。