1871(明治4)年11月、横浜港を出発した
岩倉具視を特命全権大使とする「岩倉遣外使節団」は、不平等条約改正のための予備交渉、西洋の制度や産業の調査研究を使命とし、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文らそうそうたる顔ぶれの大使節団だった。
1872(明治5)年10月1日に訪れたイングランド中部のスタッフォード州ボールトン市では、ビール工場を見学している。使節団の一員・久米邦武による『特命全権大使米欧回覧実記』によれば、その工場は20ヘクタールもの広さがあり、一行はその中を蒸気の軌道車で見て回ったという。3時間にわたって製麦、仕込み、発酵、貯蔵に至るまでを見学した後は、パンやチーズをつまみにビールの「利き酒」も楽しんだようだ。
その後に訪れたドイツではイギリスの4倍ものビール消費量に驚くとともに、ベルリンの公園にあるビアホールで男女がジョッキを傾けているさまを描写している。