1875(明治8)年、東京新橋川岸の氷店「新金屋」が、舶来の大びんビールを売り出す広告を『郵便報知新聞』に出した。その広告によれば、「一ダース二円一五銭。郵便でお申し越し次第、自宅まで届けますが、もしお口に合わぬ場合口を開けていない分は引き取ります」としている。1875(明治8)年は、氷が売り切れたという記事新聞に載せられるほど猛暑の年であった。永代橋の氷室には200トンあまり、霊岸橋の氷室には400トン、計600トンの氷が貯えられていたが、8月17日までにそれらすべてが売り切れてしまったという。当時、ビールは高級品であったが、喉を潤すビールを飲みたい人々は多かったことであろう。
また、氷店は、1872(明治5)年に中川嘉兵衛が函館の天然水を使った氷を販売して評判を呼んで以来、一挙に急増していた。天然水の氷は、東京で600gが4銭と高価なものであった(当時、米一升が約4銭)。氷店「新金屋」も、高価な天然氷を取り扱い、同時に富裕層に向けてビールを販売したのであろう。