1883(明治16)年11月28日、欧米諸国との不平等条約改正に向けて、日本の「近代化」をアピールし、海外の要人たちをもてなすための施設として東京・日比谷に鹿鳴館が開業された。そこでは毎晩のように、西洋風の衣装に身を包んだ人々が集い、華やかな舞踏会が催された。
建物の構造や食事などもすべて「西洋風」が貫かれたここでは、もちろん提供されるアルコール類も西洋のものばかりだった。外交官の小松緑が書き残した『明治外交秘話』には、舞踏の合間に気の合う相手を連れて別室に行き、パンチやビールを飲みながら会話を楽しむのが舞踏会の常だった、との記述がある。
鹿鳴館で催された夜会の様子(GAS MUSEUM がす資料館 蔵)