日本でビールが飲まれ始めた当初、外国から輸入されるビールの大半を占めていたのは英国産のビールであった。しかし、1880年代半ばになると、輸入が始まったばかりのドイツ産ビールに人気が集まるようになっていく。ドイツ領事館が熱心に自国産ビールの売り込みに奔走したことも理由の一つだが、ドイツ産ビールの味が日本人好みであったことも大きな理由である。
中でも高い人気を誇ったのが、フレンスブルク醸造所の「ストックビール」であった。横浜居留地のM.ラスペ商会が販売を一手に引き受けていたこのビールは、一時は「ビールといへばストック」(浅田澱橋著「麦酒醸造の思ひ出」/1935年『集古』所収)といわれるほどの人気ぶりだったという。ある日本人業者が自社産ビールをストックの空びんに詰め、ストックに似せたラベルを貼って出荷したため外交問題にまで発展するという事件も起こったほどだった。
さらに、「ストックビール」の味は、国内でビール醸造に取り組む業者らにとっても、格好のお手本となった。1880年代後半になると、ビールの輸入量は減少するが、それでも「ストックビール」だけは依然人気を誇っていたという。