1890(明治23)年4月、東京・上野公園で第3回内国勧業博覧会が開催された。
1877(明治10)年から始まった内国勧業博覧会は、国内のさまざまな優れた製品が集まり、ここでの入賞はそのまま売上げの増加につながるとされていた。それだけに出展数は多く、このとき80点以上のビールが出展された。これは、第1回・2回はもとより、のちの第4回・5回の博覧会をもしのぐ数である。この頃、日本全国で中小のビール醸造業者が乱立していたことを裏付けている。
しかし、参加点数は多くとも、そのレベルは決して高いといえるものではなかったようだ。審査報告によると、出品は100近くにものぼったものの、「精良なるもの」は非常に少なく、苦みが強すぎたり酸味があったり、中には栓を抜くと中身が噴出してしまうものまであったという。結局、1等・2等とその上の「名誉賞碑」は該当品なし、「有功三等賞牌」に日本麦酒の「恵比寿ビール」、ジャパン・ブルワリー・カンパニーの「キリンビール」、「札幌ビール」、「浅田ビール」、「桜田ビール」が入賞し、東京の「利根川ビール」など3品が「褒状」を受賞した。
しかし、審査報告はこの「有功三等賞牌」の中で、「キリンビール」と「恵比寿ビール」だけを取り上げて「最良」とも述べている。