「皇太子(のちの大正天皇)御成婚」のニュースに日本中が沸き立った1900(明治33)年、その御成婚の儀当日、赤坂警察署隣の空き地に、徹夜で建設された急造のビアホールが登場した。
この「離れ業」を手がけたのは東京麦酒(旧・桜田麦酒)で、皇太子御成婚への奉祝のために大群衆が押し寄せてくるだろうことを見込んでのものだった。思いついたのが前日だったのか、それとも準備が間に合わなかったのか、工事を始めたのはまさに前日の晩であった。それでも、当日の朝にはなんとかビアホールの体をなし、人々でにぎわったという。