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コラム

1900年

東京麦酒から国内初の王冠栓付ビールが発売

1900(明治33)年7月、東京麦酒から国内初の王冠栓付ビールが発売された。明治初期、外国産のビールでもびんの口には長いコルクが付いていた。キリンビールの場合、そのコルクはスペイン産で、大びん用は長さ1インチ3/4(約4.4cm)、小びん用は1インチ半(約3.8cm)であった。びんの口にがっちりとはまったコルクを引き抜くには、栓抜きをコルクにねじ込んでかなり強い力で引き抜かなければならなかった。コルクを引き抜く際の困難はそれだけではなく、コルクを抜いたときに、よく泡を吹いたといわれる。その様子を、当時ジャパン・ブルワリーで働いていた従業員は次のように回想している。

「泡を吹くたびに座敷が汚れ、着物が汚れたので料理屋では不評だった。ときには女中さんの手に負えないくらい堅いコルクもあった。無理に抜こうとすると壜の口が割れて大騒ぎになった。コルクは女中さん泣かせであった」

このようにコルクは不便であったため、東京麦酒は王冠栓付ビールの発売に当たり、王冠栓がコルクに比べて極めて容易に開栓できることを強調した。『時事新報』(7月9日付)や『大阪朝日新聞』(7月26日付)に掲載した広告では、「抜クニ困難ナク」と消費者に呼びかけた。

一方、ジャパン・ブルワリーでも、1901(明治34)年9月に王冠栓の使用に関する議論が行われ、王冠栓を採り入れようとする動きがみられた。しかし実験の結果、王冠栓は故障が多く、ビールの中の炭酸ガスが漏れてしまうという問題が生じた。ドイツ人技師の反対もあって、結局王冠栓の導入は見送られ、麒麟麦酒創立後の1912(大正元)年から本格的に採用となるのである。
王冠栓導入を告知する東京麦酒の広告

王冠栓導入を告知する東京麦酒の広告(アド・ミュージアム東京 蔵)


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