1901(明治34)年、明治政府は税制を改定し、それまで無税であったビールに「麦酒税」を課すこととした。
この5年前、1896(明治29)年に成立した酒造税法では、清酒や焼酎、みりんなどについては、年間に生産した酒の造石高に応じた税金(造石税)がかけられると定められていたが、ビールは新興産業であったため、その適用除外となっていた。しかし、さらなる税収の増加をねらった政府は、急速にその需要が伸びていたビール業界に着目、ビール醸造業者らの反対運動を押し切って「麦酒税」をスタートさせるのである。
この税負担の増加は、ビール醸造業者にとって大きな打撃であった。資本の後ろ盾を持たない中小の業者は次々に廃業に追い込まれ、日本のビール業界は、大手会社への集中時代を迎えることになるのである。