1907(明治40)年3月、東京・上野で開催された東京勧業博覧会で、ビール店が大いに賑わった記録が伝えられている。不忍弁天前にウォーターシュートが特設されて人気を集め、その観覧席に設置されたビール店も人気を博したという。また、水晶館における福引の景品の一つがビールの引換え券で、50銭券・1円券が人気を呼んだ。
1877(明治10)年から1903(明治36)年にかけて行われた内国勧業博覧会では、その都度国産ビールが出品されていた。明治初期において、内国勧業博覧会は、西洋の文化・知識を取り入れた、新しい文化の成果を人々に伝える啓蒙的な役割を担っていた。ビールもそういった役割を担っていた。しかし、明治時代中期以降、ビールが都市部の人々に飲まれるようになると、博覧会会場に開かれるビール店にも工夫が凝らされるようになり、人々の娯楽の場へと変わっていくのである。
「東京勧業博覧会会場風景」(『復刻版 風俗画報』第367号 1907年6月刊/国書刊行会)