1920(大正9)年頃から、画家の多田北烏が「キリンビール」のポスターを手がけるようになった。多田北烏は、女性や子どもなどの人物画を多く製作し、背景を巧みに配して立体感のある画風を特徴としていた。それまでの美人画のポスターは、商品を前面に出さず、美人画ありきの構図が多かったが、多田は商品である「キリンビール」を見せることをまず考え、それに見合ったレイアウトを作成したのである。
当時、「キリンビール」の一手販売をしていた明治屋の社長であった磯野長蔵は、のちに多田について次のように述べている。
「多田北烏という画家に出会って、その人の描いたポスターを出すようになった。キリンビールのポスターが、当時一番目立つポスターであった。多田があんまり女性だけではいけないからというので、女性のポスターだけではなく、男性の労働者が描かれているポスターを出した。なかなかこれは目立った」
「キリンビール」のポスターは、美人画から大衆に向けたデザインとなり、より商品を強力にアピールしていった。