カフェテリア式の食堂が日本でいつ頃から始まったのか定かではないが、大正末期には、東京・京橋の星製薬のビルで簡易食堂が営業していたという。
1930(昭和5)年に吉岡鳥平が「カフェテリア式食堂」を描いた漫画は、大阪・戎橋にあった南海食堂が舞台である。昼食どきであろうか、商店の番頭風の男性が、3品のおかずとビールをのせた盆を運んでいる。なかなかぜいたくな食事である。若旦那風の洋装の男性も、なかなかきちんとした身なりをしていることから、大衆食堂よりももう少し価格が上の食堂と思われる。メニューには、コロッケ、ロールキャベツ、ライスカレーなどがみられる。
また、同年に大阪では「プロレタリア食堂」が開店した。プロ小鉢(刺身、焼き魚、煮しめなど)の付いた朝食が15銭、そのほかにビール10銭・酒15銭であった。このプロレタリア食堂は、電話の交換手や運転手などに人気があったという。
こうした簡易食堂での食事の際にもビールを飲む人が現れたことは、日本人の食生活が変化したことの表れであると言える。大正時代以降、サラリーマンという「新中間層」が誕生し、このような人々に受け入れられたビールは徐々に大衆化していくのである。
カフェテリア式食堂の様子(吉岡鳥平画/『哄笑極楽』現代ユウモア全集刊行会)