1951(昭和26)年5月11日付『読売新聞』では、「夏と共にふえた婦人客」と題し、ビアホールに女性客が増えたことを報じている。この記事では、「ビヤホールのおやじの話」として、次のような談話を載せている。
「驚きましたね。最近日が暮れるまでは婦人客が半分ぐらいもいるんですよ、御同伴じゃなく、女の方だけが多いんです、それから一杯飲む時間が昨年の倍ぐらい長くなりまして賑かな割に売れ行きの方はどうも…」。
また、獅子文六著『好色つれづれ草』の「ビールと女」には、次の一節がある。
「女性が客として、ビア・ホールに現れたのは、戦後の特色といえる。戦前のビア・ホールは、完全なる男性の世界であった。そして、昨今ビア・ホールに現れる女性が、接客業者に非ずして、お嬢さんもしくはお嬢さん的外見に包まれるところに、著しい特色を感じさせる。良家の子女が、ビールを愛好し始めたのみならず、男性の世界に割込みを画したというところに、この現象の興味がある」。
戦後、民主化が進むなかで、ビールは本格的に大衆化し女性にも受け入れられ、家庭で飲むだけでなく、女性同士でビアホールに出かけることができる土壌をはぐくんだのである。