日本経済が朝鮮戦争の特需にうるおった1955(昭和30)年、ビアホールや屋上ビアガーデンでのビールの需要が伸び、夏には樽詰生ビールが人気を呼んだ。しかし、当時の新聞記事を見ると、樽詰生ビールが飲めたのは都市部と自動車輸送が可能な地方に限られていたことが分かる。『朝日新聞』(1955年4月24日付)の記事には、「やがて初夏の日差し、ノドを走る生ビールが恋しい季節となる。ビール酵母を低温で殺菌した“ビン詰”と違い“タル詰”は『なま』の酵母を生かしたまま使い、やわらかでサッパリした味を持つ」と樽詰生ビールの魅力を伝えるが、「この甘露を味わえるのは、自動車輸送のきく地方だけ。だから生ビールの売上げは夏でも全消費量のせいぜい六分程度」と報じている。高速道路をはじめとした道路網の整備や、自動車の普及が本格的に始まるのは1964(昭和39)年の東京オリンピック前後である。それより10年ほど前のこの時代、自動車輸送のできる地域は非常に少なかったことであろう。