戦後、女性の飲酒に対する意識は変わりつつあった。終戦から約10年がたった1956(昭和31)年、「ビール需要についての世論調査」では、次のような調査結果が出ている。
婦人がビールを飲むことについて(全国平均)
飲まぬ方がよい 25.4%
飲んでもよい 57.9%
わからない 16.6%
全国平均で50%以上の人々が、「女性がビールを飲んでもよい」とし、さらに都市部の人々の70%以上は女性の飲酒賛成派であった。明治・大正期、女性解放運動に従事した平塚らいてうらがバーやビアホールに出かけて飲酒した際、「良妻賢母の理念にそぐわない」と批判されたことを考えると、戦後、女性の飲酒に対する社会的偏見は急速になくなっていったといえる。
また、同年の『朝日新聞』(1956年6月7日付)では、「ビヤホールの客五人のうち一人は女性になり」と、女性客が増え、「農家にはダース箱が持込まれているなど、ビールはすっかり大衆化した」ことを報じている。終戦後10年が経ち、ビールの大衆化とともに女性のビール党も増えていったのである。