「ビヤホールと若い女性」(『読売新聞』1966年8月14日付)という記事には、女性客サービスに力を入れるビアホールの動きが報じられている。東京・数寄屋橋のビアホールでは「三年前から女性用の小ジョッキをつくりまして……ペアの席やら、女性好みのグラス、お料理もふやしております。」と、女性客獲得のための施策を行っていた。年々増加したビアホールの女性客は、「お客の3割を占める」ほどになっていたため、女性客獲得の動きも当然のことであった。昭和40年代は、「近ごろは特別人目を引くほどのこともなく、当たり前になってきたのが、女だけのグループ。」(『読売新聞』1968年6月4日付)と述べられるほど、女性の間にビールが浸透していったのである。