それぞれの時代で親しまれたおつまみ
明治の中頃から、国産ビール会社が次々と設立されました。それを機に、日本人がビールに親しむ機会が増えていきました。今回は、ビアホールや大衆酒場でビールが飲まれるようになってからのビールのおつまみの歴史をご紹介します。ビアホールの登場でビールが人気の飲みものになりました。ビアホールの名が日本で初めて使われたのは、1899(明治32)年8月4日に日本麦酒が開いた「恵比寿ビヤホール」です。東京の一等地、京橋区南金六町五番地(現在の中央区銀座八丁目)にオープンしました。このビアホールでは、ドイツの定番のおつまみであるラディッシュを真似て、大根を短冊状に切ったものをおつまみとして用意しましたが、日本の客には受け入れられませんでした。そのため大根をやめて、蕗や海老の佃煮を出してみましたが、場の雰囲気に似合わず、開店から1ヶ月ほどでおつまみはほとんど廃止されてしまったようです。
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1918(大正7)年4月23日付の『読売新聞』「婦人附録」の記事で「先づ晩春初夏の侯ビールなどのお肴」として取り上げられているのは「乾海鼠腸(ほしこのわた)、畳鰯、蛤、浅利の干物、下関の生雲丹(なまうに)などが結構でございませう」などと、日本の珍味が多くすすめられています。
昭和に入るとビールの愛好者はさらに増え、そば店や定食の店などでもビールが飲めるようになりました。「ビールには西洋料理のみ」というイメージはかなり薄らいだようです。
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1960(昭和35)年の夏、ビールが爆発的な売上げを記録し、ビールの売上げとともにおつまみ用のピーナッツの需要が拡大しました。落花生の値段が1俵(60kg)6千円から1万円と急激に値上がりし、政府は中国からの落花生の緊急輸入をする事態になりました。
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1981(昭和56)年8月2日付け『読売新聞』東京版朝刊では、当時の人気つまみ調査について報じられています。「戦前は、ピーナツ、干しダラ、スルメが代表格」であったのが、この頃になると、ビールのつまみもバラエティ豊かになってきたことがうかがえる結果となっています。あるビール会社が20〜40歳代サラリーマンを対象に行った調査では「枝豆、焼き鳥、フライドポテト」がベスト3で、別のビール会社が20〜26歳の女性を対象に行った調査では「フライドポテト、サラダ、枝豆」がベスト3でした。
特に枝豆は、ビアホールでも家庭でも人気の高いつまみでした。昭和の漫画では枝豆とビールがセットで描かれることが多く、『朝日新聞』の連載漫画『サザエさん』でも、磯野家の人々は夏になるとしばしばビールと枝豆で宵を過ごしていました。
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