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テーマ別解説

食文化とビール

(5)和洋折衷の食事とビール
明治後期になると和洋折衷のスタイルの「洋食」が生まれ、カフェー、バーなどの名称で西洋料理店より安い値段で食事を食べさせる店が出てきた。カフェーでの食事はカツレツ、カレーライスなどが一般的だったが、塩豆やフライビーンズなどの豆類をつまむだけの客もいた。

また、明治30年代から大正にかけて「園遊会」と称して庭園に模擬店を並べる西洋のガーデン・パーティーのようなものが盛んになったが、その模擬店ではビールのほか、てんぷら、すし、そば、おでんなど日本の料理が提供された。人々は、ビールに日本料理という和洋折衷の飲食スタイルを楽しんだ。こうした模擬店は明治後期の博覧会にも出店された。

和洋折衷の飲食スタイルは徐々に家庭にも入ってきた。明治後半は家庭向けの西洋料理本が続々と出版され、おもてなしの料理としてカツレツやコロッケなどが紹介された。しかし、西洋料理を家で食べる人はまだ非常に少なかった。内田百閒は「食而」(中公文庫『御馳走帖』所収)という随筆で、明治末、大学生時代に東京で食事などの世話をしてくれた老女がよくつくった「西洋料理」を紹介している。それは「玉葱をヘットでいためて、胡椒を振りかけ、酢醤油の中に七味唐辛子を入れて煮立てたソース」で味付けたものだった。

大正時代になると家庭でビールを飲む層が広がる。1918(大正7)年4月23日付の『読売新聞』「婦人附録」の記事で「先づ晩春初夏の侯ビールなどのお肴」として取り上げられているのは「乾海鼠腸(ほしこのわた)、畳鰯、蛤、浅利の干物、下関の生雲丹(なまうに)などが結構でございませう」など、日本の珍味が多い。ビールと日本食の組み合わせは既に違和感のないものとなっていたようだ。また同じ記事では「缶詰類には牛肉の大和煮」など、缶詰の利用も勧めている。

昭和に入るとビールの愛好者はさらに増え、そば店や定食の店などでもビールが飲めるようになった。「ビールには西洋料理のみ」というイメージはかなり薄らいだようである。

また、昭和初期には家庭で洋食がつくられはじめ、和洋折衷の料理を食べながらビールを飲む人々も現れた。例えば『婦女界』1928(昭和3)年8月号の「さっぱりしたビールのお肴」と題する記事には、胡瓜と鶏肉の辛子酢味噌、鯉の辛子味噌などと並んで、胡瓜とハムの二杯酢のつくり方が紹介されている。一方、『主婦之友』1930(昭和5)年7月号、「食通に喜ばれるビールの肴の料理法」の記事では、煮魚料理などと並んで、鮑のバター焼き、トースト海苔巻の二品があげられている。

ソース、ケチャップ、マヨネーズなどの西洋の調味料が登場したことも、家庭料理の和洋折衷を進めた。しかし、本格的に和洋折衷が進むのは第二次世界大戦後のことである。
ビールがふるまわれた園遊会の様子を描いた「館林公園躑躅(つつじ)岡之図」

ビールがふるまわれた園遊会の様子を描いた「館林公園躑躅(つつじ)岡之図」
(『復刻版 風俗画報』第341号 1906年2月刊/国書刊行会)

明治時代の西洋料理の再現

明治時代の西洋料理の再現(神戸女子大学文明開化のレシピ研究会・代表 梶原苗美氏・林利恵子氏・宮崎育子氏蔵)


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