時代を映したアート。ポスターの歴史
国内産ビールの多色刷りポスターやちらしが登場するのは明治20年代以降のこと。江戸時代の引札や錦絵で活躍した絵師や摺師の彩色技術は、海外から入った石版印刷技術を使った引札、ポスターに受け継がれました。モノクロの新聞広告が主だった時代、印刷技術の発展と共に芸術作品ともいえるポスターが制作され、人気を博しました。今回は明治・大正・昭和初期のポスターの歴史をご紹介します。
1889(明治22)年、駅の待合室に広告を掲出することが許されると、新橋・上野駅の待合室に「キリンビール」のポスターが貼られました。当時人気の芸者「ぽん太」がついたてにもたれてキリンビールのうちわを持っているという図柄のポスターだったと言われています。翌1890(明治23)年に開かれた第3回内国勧業博覧会でもこの同じ絵柄のポスターが配布されたという記録があります。残念ながら、そのポスターは現存していません。
この頃のポスターは額縁入りで、全国の主要駅に飾られました。これが本格的な交通広告のはじまりです。
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明治中期までは江戸時代から続く画風の広告が多かったのですが、20世紀に入ると構図や色彩、題材も西洋絵画風になってきました。1903(明治36)年、3人の西洋人男性が杯を傾ける図柄の「キリンビール」のポスターは、イギリスのスコッチ・ウイスキーのポスターデザインを参考に作ったものといわれています。石版刷りを用いた西洋的な色彩・タッチで描かれています。
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明治後半から大正初期にかけ、石版に代わり金属アルミ板を用いる技術が開発されました。さらに大正期にはオフセット印刷が導入され始め、より美しいポスターが作られるようになりました。絵画的な美しさを追求したビールや百貨店のポスターは特に人気で、愛好者の間で売買もされたほどでした。
1920(大正9)年頃から、画家の多田北烏(ただ・ほくう)が「キリンビール」のポスターを手がけるようになります。それまでのポスターは、美人画がメインで商品を全面に出すことはありませんでした。それに対して多田北烏は、まず商品である「キリンビール」を見せることを考えてから構図を考えたそうです。多田北烏の描いたポスターは、当時一番目立つものだったと、「キリンビール」の一手販売をしていた明治屋の社長であった磯野長蔵が後に語っています。
「キリンビール」ポスター 1924(大正13)年
「キリンビール」ポスター 1925(大正14)年
「キリンビール」ポスター 1926(大正15)年
当時は宴会の席で、返杯の際に酒盃を洗う「杯洗」の習慣があった。コップの杯洗の様子が描かれている。モデルは人気芸者だったまり千代
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昭和に入るとビールのポスターは断髪・洋装の女性を描いたものが多くなります。中には、水着姿の女性(「キリンビール」、1932年)など、それまでにない大胆な構図のポスターが登場しました。
さらに、斬新な視点でビールが飲まれるシーンを描いたものも多く登場します。女性だけではなく、男性もポスターに描かれるようになり、工場を背景に男性が杯を傾ける図柄(「キリンビール」、1929年)や仕事帰りを思わせる背広姿の男性とビール(「キリンビール」、1937年)など、さまざまなシーンでビールが飲まれるようになったことを広く印象付けるようなポスターも注目を集めました。
「キリンビール」ポスター 1929(昭和4)年
「キリンビール」ポスター 1932(昭和7)年
「キリンビール」ポスター 1937(昭和12)年
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