多くの困難を乗り越え誕生した日本ワイン
日本人の食生活に欠かせないものとなったワイン。その伝来は15世紀の戦国時代。ワインはもともと西洋文化の象徴で日本には馴染みの少ないものでした。日本のワインが生産されるまでには多くの困難がありました。今回はその苦難の歴史と日本人の食卓にワインが上がるようになるまでの歴史をご紹介します。
明治政府の殖産興業政策の一環として、ブドウ栽培、ワイン醸造が促進されたことをきっかけにワインの本格的な醸造が日本ではじまりました。特に江戸時代からブドウの産地だった山梨の人々の熱の入れようは他と一線を画していました。
行政による支援もない中、1874(明治7)年には、甲府の山田宥教と詫間憲久が国産第一号のワインを醸造。しかし、事業は続かず、すぐに廃業に追い込まれてしまいました。
その後、山梨県では1877(明治10)年8月に法人組織・大日本山梨葡萄酒会社(通称、祝村葡萄酒会社)が設立され、高野正誠と土屋龍憲がブドウ栽培とワイン醸造を基礎から学ぶためフランスへ渡ります。その時の契約書は「もし1年の修業期間内にブドウ栽培およびワイン醸造の知識を習得できなかったら、その後も自費で修業を続け、帰国後は会社の成功・発展に貢献せよ」という厳しい内容のものでした。不眠不休の努力でブドウ栽培とワイン醸造を習得し、日本ワインの醸造を本格的に始めましたが、販売ルートが確立できず、大日本山梨葡萄酒会社は解散してしまいます。しかし彼らが留学で得たその技術や栽培の知識は『葡萄三説(ぶどうさんせつ)』という本にまとめられ、日本におけるブドウ栽培とワイン醸造の基礎となりました。
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山梨県甲州市勝沼町の豪農の息子であった宮崎光太郎は、大日本山梨葡萄酒会社の解散後、土屋龍憲と、その弟の土屋保幸とともに、会社の醸造設備を譲り受けて、祝村で甲斐産葡萄酒醸造所を設立。何よりもワインの質の向上に重点を置き、品質の改良に力を入れました。しかし、品質面で一定の成果はあったものの、売れ行きは依然として振るいませんでした。当時のワイン事業の最大のネックは、庶民に馴染みがない中での販路の開拓でした。日本人に馴染みの薄いワインを浸透させるために、東京の中心地に直営の販売所としてワイン販売の専門店「甲斐産商店」を開業します。
この頃のワインは嗜好品として飲まれるだけでなく、薬用としても用いられた側面があり、この販路に着目した宮崎は1891(明治24)年、帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)への注文を取りつけ、さらに全国の公・私立病院にも積極的な販売活動を展開しました。
また、「甲斐産葡萄酒」のトレードマークとして、七福神の中から大黒天のイラストを商標登録し、ラベルや広告に大黒天のイラストを使って売り出すなど、宣伝効果にも直結する仕掛けを積み重ねることで、「大黒天印甲斐産葡萄酒」の名を不動のものへと押し上げていきます。
また、宮崎光太郎はブドウ栽培農家への支援・救済にも心血を注ぎました。ブドウの買い入れが振るわない時は利害得失を顧みず農家からブドウを買い取り、栽培農家を救済しました。
甲斐産商店は、のちにオーシャン株式会社に改称され、現在のメルシャン株式会社のルーツの一つとなります。宮崎光太郎は1947(昭和22)年、85歳で亡くなりましたが、その一生は日本ワインの歴史そのものだったともいえるでしょう。
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神谷伝兵衛が発売した「蜂印香竄葡萄酒」(オエノングループ 合同酒精株式会社 提供)。
「香竄」は伝兵衛の父親の雅号であり、「竄」には香りが染み込むとの意味がある。
焼き魚、味噌汁、ご飯を中心とした日本人の食生活に、タンニンの渋みがきいたワインはなかなか馴染まず、販路を広げることができませんでした。そこで考えられたのが、砂糖や酒精、香料などを加えた甘みのあるワインです。1881(明治14)年に神谷伝兵衛が輸入ワインに蜂蜜と漢方薬を加えた「蜂印香竄葡萄酒」を発売したのをはじめ、「赤玉ポートワイン」などのヒット商品が続々と誕生しました。
宮崎光太郎の甲斐産商店でも、東京で長く販売の第一線に立ってきた経験から、この流れに太刀打ちできないと判断し、他メーカーが輸入ブドウ酒で製造したのに対し、甲斐産商店では自家製の純正生ブドウ酒を原料に使って甘味葡萄酒の販売を始めました。この販売が成功したおかげで甲斐産商店は業績を一気に盛り返すことができました。
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神谷伝兵衛が発売した「蜂印香竄葡萄酒」(オエノングループ 合同酒精株式会社 提供)。
「香竄」は伝兵衛の父親の雅号であり、「竄」には香りが染み込むとの意味がある。
「メルシャン1962年(白)」
国際コンクールで日本初の金賞を受賞
日本の本格ワインとして、メルシャンブランドが誕生したのは、1949(昭和24)年です。当時は甘味葡萄酒が主流で、「ワインは甘いもの」と思い込んでいた人たちへの本格的なワインの販売に苦労します。現在のような本格的な辛口のワインが成長していく過程には、いくつかのステップがありました。
そのひとつが、1964(昭和39)年の東京オリンピックでした。近代的なホテルが次々と誕生し、西洋的な食事の場でワインが飲用されはじめました。メルシャンワインも高級ホテルなどの飲用シーンに合わせたワインを造り、世に送り出していきます。
1966(昭和41)年には「メルシャン1962年(白)」がブルガリアで開催された第1回国際ワインコンクールで日本初の金賞を受賞。世界が日本のワインを認めた瞬間であり、ワイン造りへの情熱が結実した時でした。また、1975(昭和50)年になると、ワインの出荷量が甘味葡萄酒を超え本格的なワインが主流となりました。
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「メルシャン1962年(白)」
国際コンクールで日本初の金賞を受賞
1970(昭和45)年に開催された万国博覧会や海外旅行ブームなどで海外との往来も盛んになると、ワインも消費量を増やしていき、1972(昭和47)年には第一次ワインブームが起こります。1973(昭和48)年には消費量が前年対比1.6倍を記録。この年は日本のワイン業界で「ワイン元年」と言われました。
その後1978(昭和53)年の第2次ワインブームからは低価格ワインが流行し、ワインの裾野を広げていきました。第3次ワインブームでは地ワイン、第4次ワインブームではボージョレ・ヌーヴォーなど、ワインを楽しむ文化も取り入れられていきます。
また、最も盛り上がりを見せたのが1997(平成9)年頃からの赤ワインブームで、ワインポリフェノールが注目され、日本のワイン市場は大きく拡大しました。
こうした数々のワインブームを越え、身近な存在となったワインは日本人の食卓に当たり前のように上がるようになりました。
「シャトー・メルシャン信州桔梗ケ原メルロー1985」
輸入ワインが大半を占めていた時代に、国産高級ワインとして「シャトー・メルシャン」が誕生したのは1970(昭和45)年。「シャトー・メルシャン」が生まれた勝沼(山梨県甲州市)は水捌けのよい砂礫質の土壌と朝夕の冷涼な気候などがブドウの栽培に適していました。さらに勝沼以外の土地では、長野県の桔梗ヶ原で欧州系の「メルロー」という品種に注目し、栽培に着手しました。
そして、1989(平成元)年「シャトー・メルシャン 信州桔梗ヶ原メルロー 1985」がリュブリアーナ国際ワインコンクールでグランド・ゴールド・メダル(大金賞)を受賞し、日本ワインの品質の高さを世界に知らしめました。
その後も1991(平成3)年からニューヨーク ワインエクスペリエンスに日本のワイナリーとして初出展後、毎回招待され続け、このほかにもインターナショナル・ワイン・チャレンジ、レ・シタデル・デュ・ヴァンなど名だたる世界のワインコンクールで受賞しています。
世界で認められ、日本で親しまれるようになった日本ワインは、これからもワインのおいしい未来へ向かって歩み続けます。
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「シャトー・メルシャン信州桔梗ケ原メルロー1985」
ワイン用ブドウの栽培から製造まで行うシャトー・メルシャンは、日本ワインの黎明期から、新しい栽培方法の導入や醸造技術へのチャレンジを続け、日本が個性を持ったワイン産地として認められるよう、品質の向上に努めてきました。
そして、自分たちだけでなく、日本ワイン全体がより良くなるよう、新たな技術は他のワイナリーへも公開し、日本ワインの発展に貢献、日本ワイン産業を牽引してきました。
また、ワインづくりにとって最も大切なブドウ栽培では、自社管理畑のある地域や契約栽培農家の方々と共に、人材育成や遊休地活用、雇用の創出などの課題の解決にも向き合っています。
これからも、より多くのお客様に、「シャトー・メルシャン」ブランドのワインをお届けしたい。
それが、地域の皆さまとともに歩む、メルシャンの願いです。
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雇用機会創出
品質向上取り組み
シャトー・メルシャンでは、高品質なブドウ栽培のために栽培適地を探していたところ、陽当たりの良さ、降水量の少なさ、排水性・通気性に優れた、長野県上田市丸子地区陣場台地のこの地に出会いました。当時は桑畑があり遊休荒廃地化していましたが、地元の方々の協力を得ながら、ブドウ畑へと転換、2003年、椀子ヴィンヤード(葡萄畑)を開場しました。それから16年、世界に認められるワインを生み出す産地となった椀子ヴィンヤードの小高い丘の上に、2019年9月、「シャトー・メルシャン 椀子ワイナリー」が誕生しました。
360度ブドウ畑に囲まれたワイナリーで、ワインのテイスティングコーナーやワインショップも併設。予約制でワイナリーツアーも開催しています。
【シャトー・メルシャン 椀子ワイナリー ワイナリーツアー】
畑、醸造施設、樽庫を見学した後、ワインのテイスティングを行います。
ワイナリーツアーのスタートは乾杯から!
皆さまをご案内するのはワインのプロ。知りたいことは、なんでも気軽に聞いてみてください。
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