(3)印刷技術の向上により、ビールのポスターが人気に
明治後半から大正初期にかけ、石版に代わり金属アルミ板を用いる技術が開発された。さらに大正期にはオフセット印刷が導入され始め、より美しいポスターが作られるようになった。明治期は化粧品、薬品、出版が「広告三品」と称されるほど広告業界の中心にあったが、大正期はライフスタイルの変化によってビール、酒、調味料、菓子、清涼飲料水などの食料品広告が台頭した。その変化の中にあって、絵画的な美しさを追求する傾向が強かったビールと百貨店のポスターは特に高い人気があった。愛好者の間で売買もされ、東京では三越のポスターが1枚5、6円で取引されたといわれる。ただし制作費が高額だったため、年に1〜2種類程度しかつくられなかった。
大正時代のビールのポスターのモチーフは、日本髪で着物を着た女性が多く、グラスにビールを注いでいるところを描いたものが多い。またこの頃ではポスターを貼ったビアホールやカフェーの室内にビールの銘柄を書いた短冊や提灯を吊り下げる装飾も行われた。手の込んだポスターとは違い、短冊は商品の名前が大きく書いてあるだけのものであった。
昭和に入るとビールのポスターは断髪・洋装の女性を描いたものが多くなる。中には、水着姿の女性(「キリンビール」、1932年)、背中の大きく開いたドレスを着た女性(「サッポロビール」、1934年)など、それまでにない大胆な構図のポスターもあった。
また、昭和前期のポスターには、そのほかにも斬新な視点でビールが飲まれるシーンを描いたものも多い。工場を背景に男性が杯を傾ける図柄(「キリンビール」、1929年)、洋装の若い男女がビールを飲もうとしている図柄(「サッポロビール」、1927年頃)など、女性だけではなく男性もポスターに描かれるようになる。また、スキー板を片手にビールを飲む男性(「キリンビール」、1932年)、ゴルフクラブを持つ女性(「サッポロビール」、1936年)など、さまざまな場所で飲まれるようになったことを大衆に印象付けるような図柄も登場した。
昭和前期には海外向けのポスターも多数制作された。日本向けのポスターと異なり、海外向けのポスターには着物姿の女性が描かれた。また富士山や桜なども描かれ、ことさらに日本らしさをアピールした。