博覧会とビール
1877(明治10)年に東京・上野公園で第1回内国勧業博覧会が開催されました。開催期間100日、来場者数が当時の東京の人口の半数を超える45万人に達する盛況ぶりでした。内国勧業博覧会は、新しい西洋文化を取り入れた成果を人々に伝える役割を担い、ビールの宣伝の場にも有効な場となりました。1877(明治10)年から始まった内国勧業博覧会は、国内のさまざまな優れた製品が集まり、ここでの入賞はそのまま売上げの増加につながるとされていました。それだけに出展数は多く、1890(明治23)年に東京・上野公園で開催された第3回内国勧業博覧会では80点以上のビールが出展。これは、第1回・2回はもとより、のちの第4回・5回の博覧会をもしのぐ数で、この時期に日本全国で中小のビール醸造業が勃興していたことを物語っています。
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ビールが都市部の人々に飲まれるようになると、博覧会会場で開かれるビール店にも工夫が凝らされるようになり、人々の娯楽の場へと変わっていきました。
1907(明治40)年 東京勧業博覧会
東京・上野で開催された東京勧業博覧会では、不忍弁天前にウォーターシュートが特設されて人気を集め、その観覧席に設置されたビール店も人気を博したそうです。
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1928(昭和3)年 東北産業博覧会
仙台商工会議所が主催した東北産業博覧会は、4月15日から6月3日までの50日間開催されました。キリンビール仙台工場では、記念ラベルを貼り販売しました。
1930(昭和5)年 復興記念横浜大博覧会
1923(大正15)年に発生した関東大震災は南関東に甚大な被害を及ぼしました。この時のがれきを埋め立てて出来たのが日本初の臨海公園である山下公園です。ここを主会場に開催された復興記念横浜大博覧会の会場の鳥瞰図を見ると、中央に「キリンビール」が出展されていたことが見て取れます。
1970(昭和45)年 日本万博博覧会(大阪万博)
アジアでの初開催となった日本万博博覧会。道路網の整備、東海道新幹線の開通などを背景に、全国から観客が押し寄せ、来場者は6,400万人以上に達しました。「人類の進歩と調和」がテーマで、77ヶ国が参加。会場では、世界のビールが各国の料理とともに楽しむことができました。キリンビールは、ピルスナービール誕生の国でもある、チェコ館で提供されました。
1985(昭和60)年 国際科学技術博覧会(科学万博-つくば‘85)
2005(平成17)年 国際博覧会 愛・地球博
1985年の筑波研究学園都市で開催された「つくば万博」、また2005年の国際博覧会「愛・地球博」では、パッケージデザインを変えた、いわゆるデザイン缶が発売されました。その中にはビールだけでなく、ウイスキーなどの洋酒の記念ボトルも作成されました。
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