(3)博覧会とビール
明治維新以後、産業・文化の発展を促進することを主な目的とし、欧米のスタイルを模倣した博覧会が、大都市を中心に開かれた。1877(明治10)年8月に上野公園で開かれた第1回内国勧業博覧会は、約3万坪(10ヘクタール)の広さに、陳列館6館、出品数約8万点、売店37軒が並んだ。開催期間100日間中、約45万人が入場した。これは当時の東京の人口の半分を超える。(当時の東京府の人口:約89万)
1890(明治23)年4月に東京・上野公園で開かれた第3回内国勧業博覧会は、花見の時期と重なったこともあり、4か月間で約102万人が入場した。ビールについては、北は北海道から南は熊本県まで、100点近くが出品され、「恵比寿ビール」(東京)、「浅田ビール」(東京)、「桜田ビール」(東京)、「キリンビール」(神奈川)、「サッポロビール」(北海道)が「有功三等賞牌」を受賞し、「利根川ビール」(東京)、「上菱ビール」(茨城)、「ベースビール」(熊本)が「褒状」を受けた。特に「キリンビール」と「恵比寿ビール」は、審査報告の中で「最良」の評価をされている。
博覧会会場では実際にビールを飲むこともできた。第3回の内国勧業博覧会会場で「キリンビール」を販売していた茶屋では、庭に四季の草花を植え、ビール醸造に使う大樽を飾っている。第5回内国勧業博覧会(1903年、大阪)、東京勧業博覧会(1907年)には、各ビール会社は、池の上など、会場内に工夫をこらした臨時のビアホールを設営した。
「東京勧業博覧会会場風景」(『復刻版 風俗画報』第367号 1907年6月/国書刊行会)