江戸時代中期の1788(天明8)年、蘭学者の
大槻玄沢が『蘭説弁惑』と題した著書を発表。これは、玄沢と門人との問答集のかたちで、「硝子諸器」「葡萄酒」「写真鏡」など、さまざまな西洋の文物を挿絵付きで解説した1冊だった。この中には、「びいるがらす」の挿絵でビールを飲む器が紹介され、また、ビールそのものについても紹介されている。
「『びいる』とて麦にて造りたる酒あり。食後に用るものにて飲食の消化をたすくるものといふ」(『蘭説弁惑』)
効用に触れるあたりは、当時の西洋酒が現在と違う捉えられかたをなされていることがうかがえる。
ちなみに、西洋から入ってきた食べものや飲みものを薬であるかのように「体に良い」とする考えは明治時代にもあり、ビールもワインなどと共に薬店でも売られていた。