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コラム

1860年

イギリス公使オールコック、ビールの普及を予見する

1858(安政5)年8月、日本は同年6月に締結された日米通商修好条約に続き、同様の条約を英国との間に締結した。これを受けて、英国から駐日総領事として派遣されてきたのがラザフォード・オールコックである。彼は、休暇をはさみながら6年間にわたって日本に駐在。総領事・公使として、日英外交の一端を担い続けた。

オールコックは、英国での休暇中に『大君の都』と題する、日本での最初の3年間をつづった体験記を出版した。この中には、1860(万延元)年、オールコックが「大君」である将軍家茂に謁見した日の晩餐の様子がつづられた一節がある。

シャンパンや貯蔵された羊肉などとともに、「日本産のおそろしくかたい牛肉」も供された、といった描写のあと、オールコックはこう書き綴っている。
「森山は、とくにビールとコーヒーの愛好者である―実際に、日本人をしてあまねくわれわれヨーロッパ人のぜいたく品の多くの消費者たらしめるには、機会が必要なだけだと思う」

(『大君の都』/山口光朔訳)


森山とは、この日奉行2人とともに夕食に招かれていた外国奉行付の幕吏、森山多吉郎のこと。当時の江戸では数少ない英語を解する人物であり、ペリーの黒船来航の際にも交渉役を務めたという森山は、オールコックによってもよき話し相手であったらしい。その彼の姿を通じて、オールコックは日本人が機会さえあれば進んで西洋文化を取り入れ、その愛好家となっていくだろうことを、すでに見て取っていたのである。

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