1870(明治3)年、横浜山手123番地に、スプリングバレー・ブルワリーが開設された。経営者は、1864(元治元)年に来日したノルウェー生まれのアメリカ人、ウィリアム・コープランドであった。コープランドは、豊富に水の湧く「天沼」と呼ばれる土地を購入し、ビール醸造所スプリングバレー・ブルワリーを開設した。
このスプリングバレー・ブルワリーで醸造されたビールは、1日2回横浜を馬車で巡回して販売され、横浜在住の外国人たちにとって、なくてはならない存在になっていった。また、東京や長崎、函館へも輸送・販売されたほか、上海や香港、東南アジアへ輸出されることもあった。のちには
日本人向けビールも醸造されている。
明治初期の横浜山手にはいくつかのビール醸造所があったが、そのなかで最も長く続き、日本で初めて産業として継続的にビールを製造した醸造所が、スプリングバレー・ブルワリーだったのである。