日本の軍隊では、古くから兵隊のために酒保と呼ばれる売店が開かれており、そこではビールが扱われていた。1885(明治18)年、大阪鎮台の工兵第7大隊と砲兵第4連隊の営内に酒保が開設され、ビールが販売された。日本酒は1人2合までと制限があったが、ビールには制限がなかった。また、酒保にはビールのほかにワインもあり、カステラや牛肉の佃煮まで品揃えされていた。
続いて東京連隊の酒保でも、ビールが販売された。1890(明治23)年、東京・上野公園で開催された第3回内国勧業博覧会で
「浅田ビール」が有功三等賞牌を受賞した際、売れ行きが急増し品切れとなったため、酒保への供給が困難になったという。浅田ビールの創始者・浅田甚右衛門(澱橋)の回顧録「麦酒製造の思ひ出」(1935年『集古』所収)には、その様子が次のように述べられている。
「新醸の出来る迄、一時注文を断る始末であったが、その時一番困ったのは、浅田ビールは従前から軍人の愛飲者が多く、各師団の聯隊酒保で販売されたのを、一時供給を欠いたのは残念であった」
ドイツの軍事制度に多くを学んだ軍人たちは、早くからビールに親しんでいる者が多かったのである。