かつては5千円札の「顔」としても親しまれた思想家・
新渡戸稲造は、札幌農学校を卒業後、アメリカ留学を経てさらに1887(明治20)年からドイツのボン大学へ留学した。このドイツ滞在中、留学生仲間のひとり堀宗一との間でかわしたビールに関するやりとりが、その没後すぐに出版された伝記に収められている。
ともに食事を囲んでいたとき、さかんにビールを飲む新渡戸の姿を、敬虔なキリスト教徒である彼らしからぬものと感じたのか、堀は「君はいつ宗旨を変えたのだ」と問いかける。ちょうどドイツ在住の日本人留学生の品行が悪いという評判が立っていた時期でもあり、注意を促したい思いもあったのだろう。
ところが、これに対して新渡戸は、「ドイツではビールを飲まない人は悪性の病気を持っているというから飲んでいるのだ」と言い返す。同じキリスト教徒であるドイツ人も、これだけビールを飲んでいるのだから、それで堕落することなどあるはずがない、というつもりで言ったのであろう。ドイツでもさまざまな人と交流していた新渡戸は、日頃からビールを片手に周りのドイツ人や留学生たちと学問に関する議論に花を咲かせていたのであろう。
その後、ベストセラー『武士道』を著し、国際連盟事務次長も務めるなどの新渡戸の活躍ぶりからすれば、たしかにビールで「堕落」するようなことはなかったと言えそうだ。