ビールに飲まれぬ強靱さを得て国際人となる
そうした充実した日々の中で、彼は日々盛んにビールを飲んでいたようだ。同じ頃にドイツに滞在していた、堀宗一という日本人と二人で食事をしていた時のこと。新渡戸があまりにもビールを飲むので、堀は軽く注意を促した。
堀:「君はいつ宗旨を代へたのだ」
新渡戸:「いやここではビールを飲まない者は悪性の病気を持つていると云ふから飲むで見た。近来は清涼に飲むでいるよ」
※原文のまま掲載。 (石井満著『新渡戸稲造傳』/關谷書店)
「信心を変えたのか(禁酒し実直な生活を送るのをやめたのか)」と聞く堀に対して、新渡戸は「ドイツではビールを飲まない人は悪性の病気を持っているというから飲んでいるのだ」と言い返したのである。
当時、日本人留学生の品行が悪いという評判が立っていたため、堀は新渡戸の飲酒を非難したのだが、新渡戸は、信心深いドイツ人だって水と同じようにビールを飲んでいるのだから、飲酒するだけで堕落するはずがないというつもりで言ったのだろう。誰とでも交流し、奮って議論することを好んだ新渡戸であるから、ビールを片手に学問談義に花を咲かせることはしばしばだったと思われる。そして異国の友や恩師たちに「武士道」を説いて聞かせることもあったかもしれない。
ラブレー教授との対話から12年後、アメリカに滞在中の新渡戸は、祖国の美徳を世界に伝えようと『武士道』(原題:“Bushido, The Soul of Japan”)を執筆、英語で出版した。折しも日清戦争で日本が勝利を収め、日本人への興味が世界的に高まっていた時代のことである。『武士道』はドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語などの世界各国語に翻訳され、東西の国々で読まれることとなった。
この本をきっかけに国際政治の舞台に躍り出た新渡戸は、国際連盟事務局次長を6年間務めるなどして活躍。しかし1933(昭和8)年、講演旅行中のカナダで病に倒れ、客死した。それは「願わくはわれ太平洋の橋とならん」という名言を残した新渡戸の生きざまを象徴するかのような最期だった。