様々な乗り物をビールの広告に活用!
日本のビール広告は、幕末に発行された英字新聞に外国の輸入業者が掲載した輸入ビールの広告に始まります。明治時代に入ると交通、マスメディアの発展とともに広告の種類もより豊富になりました。今回は、明治の後半から登場した「乗り物」をテーマに、ビールの広告の歴史をご紹介します。
ビール輸送と広告が合体した最初の例は、幌の部分に大きく「キリンビール」と入れたビール馬車でした。
「キリンビール」の総代理店であった明治屋が、1909(明治42)年に導入した宣伝カーはその流れを汲むもので、通称を「ナンバーワン自動車」といい、自動車そのものがまだ珍しかった時代に、車体全体がビールびんの形を模してつくられていため繁華街でも目立ち、ナンバーワン自動車が配達に来ると人々が寄ってきたそうです。
ナンバーワン自動車は、スコットランドから輸入した貨物自動車。通称は、警視庁登録番号が「第1号」だったことに由来します。
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空を飛ぶ飛行機から「キリンビール」のビラをまくというユニークな宣伝活動が行われたのは、まだ大正時代。飛行機の翼に商品名・企業名を入れて低空を飛び回るという広告も登場するなど、飛行機は新しい時代の広告手段として注目されました。
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戦前の日本で民間の航空輸送を行っていた日本航空輸送研究所が就航させた「麒麟号」は、その名のごとく、キリンビールがスポンサーとなった飛行艇でした。当時としては大型の19人乗りの飛行艇は、滑走路ではなく、水面で離発着を行っていました。定期便では大阪から高松、松山を経由して別府までを往復し、この空の旅ではキリンビールを飲むことが出来ました。この他にも遊覧飛行を行い、とても人気があったと言われています。大空を駆けるその機体には聖獣麒麟が描かれていました。
ビールと鉄道は日本で登場し始めた頃から縁の深いものです。かつて日本各地で活躍していたSL「クラウス17号」がキリンビール横浜工場で公開運転を行った際には多くの方が工場を訪れました。
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缶ビールのPRキャンペーンの目玉として、大型トラックを改造し、缶ビール型の車体がステージに変身する「キリン缶ビール型オリジナル・ステージカー」が登場しました。イベント広場や海水浴場でコンサート・クイズ・ゲーム大会などを開催し話題になりました。
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