1609(慶長14)年、フィリピン諸島長官であったロドリゴ・デ・ビベロは、帰任途中に船が難破し、上総(現・千葉県)に漂着した。ロドリゴは家康に謁見し、当時スペイン領であったメキシコと日本との通商を依頼された。
『ドン・ロドリゴ日本見聞録』によると、1年近く日本に滞在したロドリゴが日本で造られた船で離日する際、家康は日本人の使者を派遣し、スペイン国王に贈り物を献上した。スペイン国王は、ロドリゴが厚遇を受けたことへの返礼のため、1611(慶長16)年にセバスチャン・ビスカイノを大使として日本に派遣した。ビスカイノは、時計やスペイン国王らの肖像画とともにブドウ酒2樽を家康へ献上している。このブドウ酒2樽はシェリー酒および赤ブドウ酒であったと考えられている。
また、1613(慶長18)年にもスペインの使節がブドウ酒を家康に献上した記録が残っている。イギリス国王の使節として来日したジョン・セーリスの『セーリス日本航海記』には、次のような記述がある。
駿河に帰ったら、イスパニアの使節がフィリピンからそこに到着していた。彼は皇帝(引用注:家康のこと)を一見して、その贈り物を献じただけである。贈り物は中国緞子とヨーロッパの甘い葡萄酒5壺であった。
この時、家康に贈られた「甘い葡萄酒5壺」とはスペインのシェリー酒であったと考えられる。
このように、江戸時代初期の日本には、ブドウ酒をはじめ様々な西洋の品が持ち込まれていた。しかし、その後の鎖国体制によって、ヨーロッパとの貿易は縮小されることとなる。