逆境が生んだ王侯・貴族の酒
高級酒のイメージのあるブランデー。そもそもは、1〜2世紀ごろの古代エジプトやギリシャで、ぶどう酒を蒸留したのが始まりといわれる。その当時、ブランデーづくりには、香水や薬品の製造で使用する蒸留機が用いられていた。そして、その技術がイベリア半島を経て少しずつ広がり、現在ではブランデーの本場として有名なフランスのアルマニャック地方やコニャック地方に伝わっていったとされる。
ブランデーは、古くからある酒ではあったが、ほかの酒の草創期と同様に、当初は薬として飲まれていた。記録では13世紀に、スペイン人の錬金術師で、かつ医者でもあり、前回の「洋のリキュール、和のリキュール」にも登場したアルノー・ド・ヴィルヌーブが気つけ薬として重用していたとされている。そのため、ブランデーはフランス語で「いのちの水」(オー・ド・ヴィー)と呼ばれている。
そんなブランデーが嗜好飲料としてメジャーになったのは、16〜17世紀に入ってから。そのころのヨーロッパは天候不順で寒波に見舞われており、ワインの品質が低下していた。加えて、宗教戦争の影響もあり、安定した供給も確保できない。そのため、フランスでは品質を少しでも保つために、ワインを蒸留してから輸送するようになったという。すると、意外なことに、これが美味しいと評判になる。特に、オランダに多く輸出されていたフランス・コニャック地方産のワインの人気は高く、後年、同地がブランデーの産地として有名となるきっかけとなった。こうしてブランデーはヨーロッパで地位を確立。1713年には、フランス国王であったルイ14世が国内のブランデー生産を保護する法律を制定した。こうして注目を集めたブランデーは、各国の宮廷で愛飲されるようになり、王侯や貴族の酒というイメージを決定づけた。
ブランデー生産を保護する法律を制定した、フランスのルイ14世(ルーブル美術館蔵)
長崎奉行に贈られたブランデー
さて、そのブランデーが我が国に初めて輸入されたのは、いつごろのことであろうか。
残念ながら正確な年代はわからないが、ヨーロッパでブランデーが一般化し始めた時期にあたる1652(慶安5)年には、すでに日本国内に入っていたとの記録がある。当時、長崎の出島に設立されたオランダ商館の商館長による日記(『長崎オランダ商館長日記』)には、商館長の命令で、通詞が長崎奉行・馬場三郎左衛門にブランデー1瓶などを届けたと書かれている。先述したように、オランダはコニャック地方からブランデーが多く輸入されていた地。そうしたブランデーの中の1瓶が、はるばる海を渡り、馬場の手元にもたらされたのであろう。
しかし、その後の記録には、ブランデーの記述はほとんど見られない。江戸時代の日本人でブランデーの味を知っていた人間は、ごくわずかだと推察される。
国産ブランデーの始まり「大黒天印ブランデー」
当時のびんとラベルで再現した大黒天印ブランデーびん(甲州市教育委員会所蔵)
では、国内でブランデーが生産されるようになったのは、いつごろのことなのか。その始まりは、1892(明治25)年、現在のメルシャンのルーツにあたる甲斐産商店が製造・販売した「大黒天印ブランデー」である。「大黒」のブランドは、1886(明治19)年に宮崎光太郎らが設立した甲斐産葡萄酒醸造所が醸造した「大黒天印甲斐産葡萄酒」から生まれた。そのラインナップの一つとして、「大黒天印ブランデー」が発売されたのである。もっとも、当時、国産ブランデーは多くの国民に愛飲されるまでは至らなかった。
本格的に国産ブランデーが製造されるようになったのは、1960年代以降のこと。戦後の混乱も収まり、原料となるブドウの生産が軌道に乗るようになったのが理由の一つとされる。同時に、フランスで使用しているのと同じ形式の蒸留器を導入するメーカーも現れた。それでも日本の気候は、本場フランスで用いられているようなブランデー用のブドウ栽培には適していない。そのため、甲州種などの国内で生産できるブドウで原酒を生産。そのうえで、輸入原酒をブレンドしてつくるものが主流である。しかし、原酒をただ輸入するのではない。各メーカーとも輸入原酒にこだわりをもっており、日本人の味覚にあったものを見つけるのはもちろん、なかには海外の提携先で自ら生産している会社もある。
そんな各メーカーの努力の中、最近、日本で人気を集めているのが、フランスの原産地をその名に冠する「カルヴァドス」だ。我が国ではブランデーについて、酒税法で「果実若しくは果実及び水を原料として発酵させたアルコール含有物又は果実酒を蒸留したもの」などと定められている。そのため、ブドウだけでなく、原料にリンゴやナシ、ミカンなども使える。リンゴや洋ナシを原料とするカルヴァドスはまさにその定義に当てはまり、そのフルーティーな甘さと飲みやすい口当たりから、女性に人気のブランデーとなっている。
こうしてブランデーは、少しずつではあるが着実に日本人の中に根付き、現在に至っている。