1976(昭和51)年6月小岩井農牧(株)とキリンビール(株)との折半出資により「小岩井乳業株式会社」が設立されました。当時、国産チーズ・バターにおける小岩井乳業のシェアは1%にも満たないものでしたが日本での生産量は食生活の洋風化とともに着実に伸びていましたので、この分野の成長性は期待できるものと判断しました。設立当初からのチーズやバターなどをギフトとして販売するマーケティングが功を奏した頃、デイリー商品にも注目し始め、1982(昭和57)年頃からチルドデザートやヨーグルトの開発が本格的に始まりました。
新商品開発に乗り出したメンバーは、当時のヨーロッパにおけるヨーグルトの市場を3週間ほどかけて視察に行きました。スイス、ドイツ、フランス、オランダ、デンマークのスーパーを回り、片っ端から試食し、パッケージを記録し、その印象をリスト化するという作業を続けました。その中で、メンバーの目に止まったのが、フランスにあったヨーグルトで、砂糖不使用、牛乳100%を原料としたものでした。当時の日本で販売されていたプレーンヨーグルトは酸味が強く、「おいしいから食べる」というより、「健康のために食べる」というものが多かったのですが、フランスで販売されているものは酸味が穏やかで味もよく、牛乳そのものからヨーグルトをつくるというイメージで、自分たちのつくりたいヨーグルトと合致し、開発の方向性が決まりました。さらにこの視察では「すっぱさ」を解決するための乳酸菌に関する情報も得ることが出来たのです。
生乳100%のヨーグルトをつくるためには、多くの課題がありました。ヨーグルトは脱脂粉乳やクリーム、寒天などと混ぜて容器に詰めてから発酵させていくスタイル(後発酵)が主流ですが、生乳100%のヨーグルトをつくるためには、容器に充填する前に発酵を促す前発酵を経るため、雑菌の混入などが起きると一気に菌の増殖が起き、一度に大量の廃棄を生む可能性もあり、品質管理が非常に難しく製造方法の検討は困難を極めました。また大型タンクなどの大規模な設備の導入、加えて脱脂粉乳を混ぜるより格段にコストが高くなる事も予想されたため、社内でもかなり思いきったチャレンジであり当時は商品化に反対する声も多かったのです。しかし、「我慢して食べるのではなく、“おいしいから食べる”ヨーグルトをつくりたい」というメンバーの熱い想いに支えられ、開発は進められました。
新商品開発に携わったメンバーが特に苦慮したのは乳酸菌の選定です。ビフィズス菌と相性のよい乳酸菌を選ぶなど様々な条件に合わせて試行錯誤を繰り返し100種以上の中から最適な乳酸菌を探し出しました。そうして選び出されたのは、十数時間かけてじっくりと発酵するもので、これでは生産量が限られてしまうことになりますが、おいしいヨーグルトづくりのために長時間の手間ひまをかけ、ていねいに製造することにこだわりました。現在でも長時間かけた製法は変わっていません。
もうひとつ、こだわったのは容器の形です。当時の市場では四角柱や円柱の容器はありましたが、三角柱の容器はありませんでした。これは、ヨーグルトのなめらかさを生かし、スプーンですくうのではなく、そのままデザートグラスなどに直接注げるように追求した結果です。さらに三角柱の角部分は、残ったヨーグルトをかきだせるよう、スプーンの先の形に合わせて角度を調整するなど、現在も続く特長的な三角柱の容器になったのです。こうして、しぼりたての牛乳のみでつくられた「小岩井 生乳(なまにゅう)100%ヨーグルト」は2年の歳月を掛けて1984(昭和59)年4月に“ひたすら自然”をキャッチフレーズに発売されたのです。
2015(平成27)年には、姉妹品として「小岩井 生乳(なまにゅう)ヨーグルト クリーミー脂肪0(ゼロ)」(現・小岩井 生乳だけで作った脂肪0(ゼロ)ヨーグルト)が発売されました。生乳から脂肪を取り除き濃縮する技術と、長時間前発酵製法で仕上げることで、お客様が脂肪0ヨーグルトに対して抱いていた味覚不満を解消する、コクがあってクリーミーな口あたりを実現しました。
発売40周年を迎えた2024(令和6)年には、日本初の生乳100%ヨーグルトとして発売された4月21日を「小岩井 生乳(なまにゅう)100%ヨーグルト」の日に制定。こだわりの長時間前発酵製法でロングセラーとなった商品同様に、じっくりとファンを増やしています。
1984年 特徴的な三角柱の初代パッケージ
発売時の商品名は「小岩井プレーンヨーグルト(生乳100%)」
2004年 4代目パッケージ
「小岩井 生乳生乳(なまにゅう)100%ヨーグルト」に名称変更
2009年 7代目パッケージ
発売25周年のアイコンと最大の特長である「なめらかさ」をパッケージに表現
2015年発売時の「小岩井 生乳(なまにゅう)ヨーグルト クリーミー脂肪0(ゼロ)」