飲茶の習慣は中国で生まれ、大きく陸路と海路の2つのルートを経て世界各地へ広がっていきました。茶の呼び名は、どのようにその地へ伝わったのかで、大きく2系統に分けることができます。2つの経路と、その伝播の経緯をみていきましょう。
福建省から伝わった海のルートが「ティー(TEA)」
中国から海外に向けて茶が出荷され始めた1600年頃の交易地は、現在の福建省か広東省が中心でした。その頃、茶の呼び方はまだ定まっておらず、それぞれの地方の方言か、外国人がその方言を聞き、発音しやすいように言い直した言語などが混在していたようです。茶は主に海路か陸路によって世界に広がったので、自然にそれぞれの方言がもとに、大きく「tea(ティー)」系か「cha(チャ)」系に分かれて浸透していくことになりました。
まず、海路で広がったものは積出港のあった福建省のアモイ地方の方言である「te(テ)」と呼ばれ、ヨーロッパの国々のほとんどが、この系統に属しています。
広東省から伝わった陸のルートが「チャ(CHA)」
現在の広東省のあたりを基点に、陸路を伝播していった地域(北京、朝鮮、日本、モンゴル、インド、中東各国)では、その地域での発音「cha(チャ)」が元になっています。
ワンポイント豆知識
海路によって茶を手にしたフランス(the)やイタリア(te)、スペイン(te)などの地中海沿岸の国々が「Te(テ)」の系統であるにもかかわらず、その近隣のポルトガルでは「cha」と呼ばれています。これは、大航海時代に、宣教と交易を目的にアジアへと到着したポルトガル人が、最初に茶の存在を知った地が広東であったことや、イエズス会の宣教師たちが中国や日本の「チャ」を飲む習慣についての報告を本国へ送ったことから、「cha」と呼び習わすことになったと考えられています。