ヨーロッパでの喫茶の歴史は、まだ400年
ヨーロッパで茶が飲まれるようになったのは、いまから400年ほど前。中国で始まった喫茶の習慣は、当時の日本ではすでに「茶の湯」という総合芸能に発展し、単なる飲みものではなく、心や礼儀にも関る民族の文化となっていました。これを知ったヨーロッパ人たちは、高貴なセレモニーと茶の文化に敬意を抱き、アジアの「茶」は東洋の神秘の象徴として、ヨーロッパの王侯貴族の憧憬の的となったのです。
ヨーロッパにおける茶の大きな特徴は、茶を自国で栽培できないために、他から調達する必要があったことです。そのため東西交易が発達し、後にはインドやスリランカなどの植民地で栽培したものを輸入するようになります。はからずも、
領土の拡大や戦争など、結果的には歴史を揺るがす事件も巻き起こしながら、茶を飲む習慣が、ヨーロッパに定着していきます。
当初、日本の茶道を手本に飲まれていた?
18世紀の紅茶作法。紅茶は受け皿に移して飲まれた。※1
紅茶といえばイギリス、と現代では誰もがそう連想しますが、茶貿易の先陣をきったのは、ポルトガルとオランダでした。航海術に優れていた彼らは、アフリカの喜望峰をまわり、インドへ到達し、マレー半島を経て、中国、さらには日本にまで進出しました。実質的にヨーロッパへ茶の普及を進めたのはオランダで、17世紀初頭にはヨーロッパに茶を輸入し始めました。東洋からもたらされた茶は貴族や裕福な階級の人々の間で人気を呼び、中国や日本から茶器や茶碗が輸入され、茶と共に披露されました。また、聞き伝えながらも日本の茶道(抹茶の飲み方)が伝わり、彼らなりの解釈で取り入れられていきました。
茶は、来客時に仰々しく振舞われる、権力と富の象徴でした。中国や日本で焼かれた茶碗には、取っ手がありません。茶を注ぐと熱くて持てないので、冷ますために受け皿に少量ずつ移し変えて飲みました。その時、大きな音をたてて、ずずっとすするように飲んだといいます。これは、茶道でお茶をいただく時の作法を真似ていたとも考えられています。また、茶は高価なものだったので周りの人に聞こえるように音をたてて飲み、見せびらかしていた滑稽な行為だったとも言われています。
18世紀の紅茶作法。紅茶は受け皿に移して飲まれた。※1
万病に効くと宣伝された、東洋の神秘薬「茶」
オランダに遅れること約半世紀。オランダから持ち込まれたものではありましたが、1657(明暦3)年にはイギリス・ロンドンのコーヒーハウス「ギャラウェイ」で、初めて茶が売り出されました。売り出しにあたっての宣伝ポスターには、茶の効用について「頭痛、結石、水腫、壊血病、記憶喪失、頭痛、下痢、恐ろしい夢などの症状に効き目あり」などと、万病に効果を発揮する東洋の神秘薬として紹介されています。ロンドンの物見高い人々が、茶葉そのものを見るために、また、茶を味わうために、ギャラウェイコーヒーハウスに押し寄せ大盛況となったようです。当時の社交場でもあったコーヒーハウスがその効用を宣伝したことから、茶という飲み物がイギリス中に知られるようになっていったのです。
茶の効用が書かれたトーマス・ギャラウェイのポスター(大英博物館蔵)※2
※1、2、3いずれも資料提供:磯淵猛氏
茶の歴史・まとめ
POINT
●中国:茶の歴史はどの国よりも長く、飲み方や種類がいろいろ変化している。
●日本:茶を中国から取り入れ、独自の茶の楽しみ方(茶道)を発展させた。
●ヨーロッパ:歴史は短いが、紅茶を知ってから文化が急発展し、後にレモンティーやティーバッグなどの新しい飲み方が作られている。
[参考文献]
磯淵猛『一杯の紅茶の世界史』(文春新書)
松崎芳郎『年表・茶の世界史』(八坂書店)
古田紹欽訳『栄西・喫茶養生記』(講談社学術文庫)