西洋で茶を最初に手にしたオランダ
ヨーロッパで最初に茶を輸入した国はオランダでした。1602(慶長7)年にはジャワのバタビアを拠点に世界初の株式会社となる貿易会社・オランダ東インド会社を設立。その後、日本の平戸にも商館を置き、ポルトガルに先んじて東洋における貿易を独占しました。
初期にヨーロッパへ渡った茶は、緑茶であったとされています。その中には、日本からの緑茶も含まれていたとの記録があります。茶は現在の福建省の港から、海路ヨーロッパへ運ばれ、オランダの首都アムステルダムはヨーロッパにおける最古で最大の茶市場として栄えました。
今でこそ茶の大消費国になっているイギリスも、最初はオランダから茶を輸入していたのです。やがて、茶の需要が高まるにつれて、イギリス東インド会社を設立し、自国で茶貿易に乗り出すようになりました。
イギリスは、最初、緑茶を飲んでいた!
中国から茶を輸入するイギリス人。アッサム種が発見されるまではすべて茶は中国で生産されていた。
当初、緑茶を飲んでいたイギリスでしたが、やがて中国での直接買い付けをするようになったことで発酵茶(烏龍茶、後に工夫され紅茶となる)の存在を知るようになります。それがイギリスの風土に合ったことから、茶の消費量はさらに増えることになるのです。それはイギリスの水が石灰分を多く含んだ硬度の高い硬水であることが要因でした。硬水で緑茶を入れると、水色だけは濃いものの味と香りは弱く、気の抜けたような味わいになってしまいます。それに対してタンニンの含有量が多い発酵茶は、硬水の影響でその渋味もマイルドとなり、ちょうどよく感じられるのです。18世紀になると、この発酵茶の需要はますます増え、緑茶が主流の中国でも、イギリス向けの発酵茶を増産するようになります。
中国から茶を輸入するイギリス人。アッサム種が発見されるまではすべて茶は中国で生産されていた。
紅茶がアメリカを独立へと導いた?
イギリスから課税(印紙条例)が発令され、反対するアメリカ人。
ボストンの海へ茶箱を落とすアメリカ人。アメリカ独立戦争のきっかけとなったボストン茶会事件
イギリス人の海外進出とともに、紅茶も世界各国へ運ばれ、飲まれるようになりますが、新大陸アメリカに喫茶の習慣をもたらしたのは、オランダからの入植者と考えられています。ニューヨークがオランダ領ニューアムステルダムと呼ばれていた17世紀半ば頃のことです。やがてイギリスからの入植者たちに取って変わられるようになり、茶は上流階級のみならず、さらに一般市民の間にも普及していきました。
しかし茶が市民権を得たことで、アメリカは茶の供給元であるイギリス本国による高い茶税に悩まされることになりました。また、この頃強まっていた植民地への政治的圧迫もあり、アメリカ独立のきっかけともなる「ボストン茶会事件」(1773年)が引き起こされるのです。
生活になくてはならない飲みものとなった紅茶は、歴史を動かすまでの力を持つようになっていました。
イギリスから課税(印紙条例)が発令され、反対するアメリカ人。
ボストンの海へ茶箱を落とすアメリカ人。アメリカ独立戦争のきっかけとなったボストン茶会事件