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紅茶の話

第5話 紅茶、新天地へ

2 万博で大人気のアイスティー
セントルイス万博で人気となったアイスティー
アイスティー
アイスティーもまた、アメリカで生まれた新しい紅茶の飲まれ方のひとつです。

1893(明治26)年、シカゴで開かれた万国博覧会で、アイスティーとレモネードが当時の金額で2,000ドル以上の利益を上げたという記録があります。

また、1904(明治37)年のセントルイス万博では、イギリス人のリチャード・ブレチンデンという茶商が配ったアイスティーが大人気となり、この時の盛況ぶりがアイスティーを一般化し、商業化のきっかけとなったと語り継がれています。

セントルイス万博は、会場の広い敷地内に鉄道を敷き17ケ所の駅が造られ、210日間の会期中に入場者はのべ1280万人に上ったという史上最大規模のものでした。

この万博の東インドパビリオンに出展していたブレチンデンは「熱い紅茶は健康に良い」と紅茶の宣伝をしていましたが、開催されていたのが7月の暑い時期だったので、観客には見向きもされませんでした。そこで、ウォータータンクのようなもので紅茶を冷して配ったところ、これが大好評となったようです。

同じ会場では、世界で初めてハンバーガーやホットドッグ、コットンキャンディー(綿菓子)、アイスクリームコーンなど、今日では誰もが知っているファーストフードが一斉に紹介されていました。アイスティーはこれらと並んで、新しい清涼飲料水というイメージを来場者に強く印象づけたことでしょう。

万博の終了後、ブレチンデンはニューヨークの高級デパート、ブルーミングデールにもこのタンクを持ち込み、デモンストレーションを行ったといいます。南部のみならず東部の人々の間にもアイスティーという新しい飲み方が広く知れ渡ったことが予想されます。

アイスティー


フルーツパンチが起源? 南部のスイートティー
アメリカの料理研究家リンダ・ストラドレイの『アイスティーとスイートティーの歴史』(下記コラム参照)によれば、アメリカにおける紅茶の飲まれ方の変化の大きな理由として「砂糖の普及」と「冷蔵庫や製氷機など冷凍技術の発達」があげられています。

冷蔵庫は1800年代初頭に発明され、1870(明治3)年には、ニューヨークのビール工場で初めて商用利用されました。1895(明治28)年にペンシルベニアで配布されたレシピの小冊子に掲載された一種の製氷機の広告には、その利用法のひとつに「あなたのアイスティーのために」と挙げています。この頃すでに家庭では、アイスティーと呼ばれる飲み物が飲まれていたことがうかがえます。

先のリンダ・ストラドレイは、初期のアイスティーはフルーツパンチ(※1)のバリエーションとも考えられ、紅茶ではなく主に緑茶を用いて作られていたと記しています。

アイスティーが流行した理由のひとつには、料理にとても合う飲み物であったことがあげられます。あらかじめ加糖されていたことも手伝ったのでしょう。アメリカの南部でアイスティーは、夏だけの飲み物ではなく、1年を通して、食卓で飲むポピュラーなソフトドリンクとして定着していた様子です。 また、低コストで大量に製造できるというメリットもあったようで、1890(明治23)年9月28日付のNevada Noticer紙に「1890年9月20日・21日、退役軍人のために催されたバーベキューパーティで、大量の肉やパンと供に、880ガロン(1ガロン=3.8ℓ:約3344ℓ)のアイスティーが消費された」というトピックスが紹介されています。

アイスティーの発祥については諸説がありますが、アメリカでポピュラーな飲み方となったことには間違いないようです。


(※1)フルーツパンチ(ポンチ):ポンチはヒンディー語で数字の『5』。原型となった飲み物が、水、酒、砂糖、果汁、スパイスなどの5種類の材料によってつくられたことによる。炭酸水などを用い、アルコールを入れないことも多い。イギリス東インド会社の船員が母国に製法を持ち帰って、ヨーロッパに流行したと言われている。


コラム


[アメリカのアイスティーのあゆみ]略年表


1800年代:お酒に緑茶を加えたリージェントパンチと呼ばれるカクテルが流行。(リージェントは英国のジョージ4世の愛称。リーゼントヘアの語源でもある)
1830年代:のちにアイスティー普及の要素となる冷蔵庫や製氷機が開発、特許をとる。
1839年:ケンタッキー州の主婦(ブリノン夫人)の料理書にアメリカンスタイルのティーパンチのレシピが掲載される。
1879年:ヴァージニア州のマリオン・キャンベル・タイリーが編集した料理本にスイートティー(アイスティー)のレシピが掲載
1884年:リンカーン夫人のボストン・クックブックにアイスティー(ロシアンティー)が紹介される。
1890年:退役軍人のパーティで大量の料理とアイスティーが飲まれたという新聞の記事が出る。
1893年:シカゴ万博で、アイスティーとレモネードが約2,000ドル以上の利益をあげたと記録される。
1895年:ペンシルベニアで配布された小冊子に製氷機の広告掲載。コピーに「あなたのアイスティー向け」。
1904年:セントルイスで万国博覧会開催。万博会場で配られたアイスティーが爆発的人気に。同会場では世界で初めてハンバーガーなども紹介された。同時期にニューヨークではティーバッグが流行。
1920〜1933年:禁酒法時代、アルコールに代わるものとして、アイスティーの人気が急上昇。

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