茶の"シルクロード"
オランダやイギリスによって茶が海を渡った一方で、中国周辺の国々にはどのように伝わっていったのでしょうか。それには、茶のシルクロードとも称される「茶馬古道」という交易路が大きな役割を果たしました。
その起点となったのは、雲南省の思茅(スーマオ)地区にあるプーアール。ベトナム、ラオス、ミャンマーとの国境に接し、チベットへ向かう道が張り巡らされる、古くから交易が盛んな土地でした。茶の集積所として栄えた町でもあり、チベットとの茶の交易のためにティーロードと呼ばれる茶馬古道が築かれました。
今から1000年以上も前に、チベットから巡礼で訪れる人々が通りすがりに雲南の茶を買ったのが茶の交易のはじまりと言われています。チベットの人々の生活は、バターを始めとした乳製品や干し肉が中心であったため、食後に脂肪をすっきり流して消化を助ける茶はやがて必需品となったようです。雲南の茶商たちは、チベットへの輸出用に大量の茶をプーアールに集め、運びやすいように固めた形に作り、馬の背に積み隊商を組み交易を行いました。この輸出のために、何十年、何百年とかけて、少しずつ石を敷き詰めた道を伸ばしていきました。この古道を通じて茶は、大陸を広がっていきました。
陸路での伝播には、もう一つ規模の大きな経路がありました。それは、ロシアへの伝播でした。中国辺境からの移民によって持ち込まれていたようで、こうした人々へ供給するために16世紀以降、正式に中国より陸路で茶の交易が始まったようです。
CHAもTEAもある日本
古くは中国、現在ではアメリカやヨーロッパなど海外から多大な文化の影響を受けている日本では「cha(チャ)」といえば日本茶を、「tea(ティー)」といえば紅茶を連想するように、2つの発音を使い分けています。
日本にはもともと茶樹が自生していた可能性があるという説もありますが、定かではありません。一般には、平安時代に唐(中国)に留学した空海や最澄などの僧が、仏教の教典などと一緒に持ち帰ったものから伝わったという説が有力になっています。その際の呼び名は「Cha」、以来、茶をさす言葉として使われてきました。
やがて時代が下り明治に入ると、そこにアメリカから紹介された紅茶が加わります。
現在、日本では日本茶、紅茶、さらに中国茶をも加え、飲用シーンによってお茶を飲みわけています。
[参考文献・出典]
磯淵猛著『一杯の紅茶の世界史』(文藝春秋)
磯淵猛著『紅茶事典』(新星出版社)
大石貞男著『日本茶業発達史』(農文協)
W.H.ユーカーズ著・杉本卓訳『ロマンス・オブ・ティー』(八坂書店)
松崎芳郎編著『年表・茶の世界史』(八坂書店)