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酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

日本のビールの歴史年表

昭和24年〜昭和45年(1949〜1970)

解説
  • 1949年(昭和24年)
  • 全国の飲食店営業の再開が許可される。[5月1日]
  • ビールの自由販売再開。ビール税が創設以来初めて減税され、人々は新しく決められた公定価格130円のビールを酒店で買うことに。[5月6日]
  • 東京でビアホールの営業が許可され、都内各所で営業を再開。値段は500mlで150円前後。復活を待ちわびていた人々で大にぎわいとなる。[6月1日]
  • 大阪・道頓堀名物の飲食店「くいだおれ」が開店。[6月]
  • 大びん一本の公定価格が126円50銭となり、配給が始まって以来初めての値下げとなる。[7月16日]
  • 過度経済力集中排除法で、大日本麦酒が日本麦酒(現・サッポロホールディングス株式会社)と朝日麦酒(現・アサヒグループホールディングス株式会社)に分割される。[9月1日]
  • ビールの商標が復活する。[12月1日]
  • 東海道線の列車に食堂車復活。
  • 1950年(昭和25年)
  • 朝鮮戦争勃発。[6月25日]
  • ビール各社、黒ビールを復活発売[7月〜8月]
  • 銀座尾張町に幅135尺、高さ24尺のビールの大ネオンサイン(21尺のコップにビールが注がれ泡がこぼれるしくみ)が登場。消費電力は400アンペア。1時間で普通家庭の1月分に相当した。
  • ポテトチップス発売。ビアホールにサンプルを持ち込み、宣伝・普及に1年かかったという。
  • 1951年(昭和26年)
  • ビアホールに女性客増える
  • 朝日麦酒、「バャリースオレンヂ」発売。[11月]
  • 警視庁、飲酒運転の取締りを始める。
  • トリスウイスキーを看板にした「トリス・バー」が各地に登場。サラリーマンに人気となる。
  • 1954年(昭和29年)
  • この頃から、野球場では、ビールびんの投げつけを防ぐため、販売員が1本分のびんビールを紙コップについで客に渡していた。
  • デフレの波に乗り、2坪の店で純益月3万円稼げる大衆酒場が人気を呼ぶ。
  • 電気冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ(最初は電気掃除機あるいは炊飯器)が「三種の神器」と呼ばれ、庶民の憧れの的になる。
  • 大阪でラムネが大人気。
  • 日本にピザ登場。アメリカ人のニコラス・ザペティが東京・麻布台に開いた「ニコラスピザハウス」が最初。
  • 1955年(昭和30年)
  • 樽詰生ビールが飲めるのは自動車輸送が可能な地方だけなので、夏でも全消費量の六分くらいだった。
  • ビール業界各社の労組が行ったストの影響で生ビールが不足。都内では生ビールがほとんど底をつき、都内ビアホールでも樽生が売り切れ、びんビールに切り替える状態となった。[6月]
  • 猛暑で扇風機、冷蔵庫、アイスクリーム、ビールなどが売れる。冷蔵庫の売れ行きは前年の倍であった。ビールの売れ行き上昇のもう一つの理由は、婦人層や農村にまでビール党が増えたため(『読売新聞』7月11日)。
  • ビールの出荷量が戦後最高を記録。女性ビール党も去年より2割も増え、家庭によく売れる小びんは品切れ状態。終戦直後の1年分を7月の1か月で飲み干す(『朝日新聞』8月10日)。
  • 公給領収証制が始まる。前勘定を行う飲食店では100円以下が免税となったため、ビアホールは100円ジョッキを売り出した。500mlで126円だったジョッキは価格を100円にするため、容量を435mlにした。[11月1日]
  • 電気釜が発売になり、翌年には売上げ台数が100万台に。
  • 1956年(昭和31年)
  • ビアホールの客5人のうち1人は女性。
  • 元祖居酒屋チェーンの「養老乃瀧」オープン。大衆居酒屋のチェーン化が始まる。[12月]
  • 政府が『経済白書』で「もはや戦後ではない」と発表。
  • 女性の飲酒に関する全国調査で、女性の飲酒に対し、都市部の人々の70%以上が賛成、全国でも50%以上が賛成という結果。
  • 1957年(昭和32年)
  • 寶酒造、「タカラビール」(中びん)発売、ビール業界に進出。[4月1日]
  • 「タカラビール」発売と同時に、各社容量500mlの中びんビール発売。値段は100円。[4月1日]
  • 「戦前に女性同士ビヤホールにいくと、客はおろか従業員にもびっくりされたが、今では時間帯によっては女性の方が多い。気軽な明るさが若い女性に好まれているようである」(『読売新聞』「女性とビヤホール」 7月9日)。
  • 戦後ビールの販売量新記録。生活様式がウエスタンスタイル(西洋式)になったこと、さかなはピーナツで十分、女性のビール党の腕が上がったことが理由(『読売新聞』7月11日)。
  • 京都・先斗町の川床ビアホールが人気に。
  • 「生活が洋式化してきたうえ、収入が増えて高級なものを好むようになってきたのを反映し、合成酒や焼酎の量が減り、ビールとウイスキー、清酒の量が増えた」(『読売新聞』10月11日)。
  • 「8月まで前年を2割、3割と上回り、戦後最高の売れ行きをみせていたビールも秋風がたつとガタリと売れ行きがとまり落ち込んだ。原因は9月上旬の天候不順、つまり秋が来るのが早かったことがあげられる」(『読売新聞』10月19日)。
  • ジュースの噴水が見える自動販売機が登場。10円噴水ジュースとして人気に。
  • 1958年(昭和33年)
  • 渡辺製菓、無果汁の「粉末ジュースの素」発売。[2月]
  • 「"夏場に限る"とされたビールが最近年間を通じて飲まれるようになったことや、婦人のビール・ファンが増え、さらにそれが突破口となっておおいに家庭に進出したためだといわれる」と、ビール販売量の増加について解説(『読売新聞』5月6日)。
  • 石原裕次郎が、兄の石原慎太郎に差し入れるビールを積み込む写真を掲載(『読売新聞』6月17日)。
  • 「焼酎党、ビール転向」の記事。「佐賀県杵島郡白石平野の干拓農民は、日頃はせいぜい1合ほどの焼酎を買い飲みしていたが、地酒の特級酒やビール党に転向するものも出て『酒売り切れ申候』という貼り紙をしている酒屋も出た」(『読売新聞』9月3日)。
  • 朝日麦酒、日本初の缶ビール発売。[9月15日]
  • この頃は、まだビール供給量のうち55%が家庭外で飲まれていた
  • 東京タワー完成。地上333mは当時高さでは世界一だった。[12月23日]
  • 東京飲料(現・コカ・コーライーストジャパン株式会社)、「ファンタ」オレンジとグレープを発売。
  • 回転寿司の元祖、元禄寿司が現在の大阪府東大阪市に開店。朝日麦酒吹田工場のベルトコンベアを見て思いついた。[4月]
  • 1959年(昭和34年)
  • 東京新橋の酒店に、酒と焼酎のコップ式自動販売機が登場。居酒屋より安く飲めると、平日の夕方には長蛇の列ができた。
  • ビールの消費量が初めて清酒を上回る。
  • 日本で初めてビールかけが行われる。この年のパ・リーグ優勝チーム・南海がアメリカの野球のシャンパンファイトにならい、東京・中野のホテルの食堂で行った。[10月]
  • ドアポケット付き冷蔵庫発売される。
  • 1960年(昭和35年)
  • 「冷蔵庫は一種の贅沢品に過ぎないが、近い将来には必需品となることうけあい。」(『読売新聞』1月11日)。
  • 街のビアホールへ入れば、ジョッキをあけている客の半分は女性、登山人口の半分は女性。戦後アメリカの影響による男女同権の考え方からきたものであることは疑いがない(『読売新聞』7月17日)。
  • この夏ビールが空前の売れ行き、それにつれてビール党が「おつまみ」用にピーナッツ(落花生)を食べ、60kg6,000円が1万円に跳ね上がり、緊急輸入することとなった。
  • この夏、ビールは爆発的な売れ行き。大蔵省主税局の調査によると、40%までが社用族。
  • カラーテレビ放送が始まる。[9月10日]
  • ビールの公定価格(通称マル公)が撤廃され、基準販売価格制に移行。当初の小売の基準価格は大びん一本125円。[10月1日]
  • 都市世帯のビールの家庭消費量は全体の47.4%、農村世帯では51.4%(大蔵省主税局調査)。
  • 1961年(昭和36年)
  • 「最近ビール好きの女性が増えました。ビアホールのお客の3割は婦人」(『読売新聞』7月26日)。
  • 「コカ・コーラ」の原液輸入制限撤廃により、輸入完全自由化。
  • レジャーブームが起こる。
  • 1963年(昭和38年)
  • 「野菜や果物に季節感がなくなったように、ビールも今や年間を通じての飲みものとなった。冬、暖房のほどよくきいた部屋で飲むビールの味もまた格別、というわけで、ここ数年、需要は年ごとに二、三割ずつふえている」(『朝日新聞』1月27日)。
  • 1960年に約10%だった電気冷蔵庫の普及率は、この年2月に約40%になり、家でも冷たいビールが飲めるようになった。[2月]
  • 寿屋、サントリー株式会社に社名変更。[3月1日]
  • 日本麦酒、「サッポロ生特大びん」(通称「サッポロジャイアンツ」)発売。[4月1日]
  • サントリー、「サントリービール」発売。ビール業界に進出。[4月27日]
  • メーカーの宣伝がきいて、ビールが輸入缶詰の詰め合わせに代わって中元の主力商品になってきた。
  • 1964年(昭和39年)
  • 朝日麦酒、「アサヒスタイニー」発売。[3月23日]
  • 屋上ビアガーデンの“高度成長”が盛んに。東京・銀座を中心にビルの上には50軒が開店、屋上に炭火を持ち込んでジョッキを傾けながらバーベキューと、趣向をこらす店まで登場。
  • 東京オリンピック開幕。[10月10日]
  • 三越が中元ギフトセンターを開設。以後、中元、歳暮ごとに開設する。
  • バーやクラブにミネラルウォーター登場。
  • 1965年(昭和40年)
  • ビール各社、プルトップ缶ビールを発売。缶を開けるのに缶切りを使う必要がなくなった。[3月]
  • サッポロビール、「サッポロストライク」発売。びんの王冠を手で開けられる「栓抜きのいらないびんビール」。[3月]
  • 日本コカ・コーラが缶入りコカ・コーラを発売。1缶50円。[9月]
  • 冷蔵庫の普及率50%を超える。冷凍冷蔵庫が主流に。
  • 1966年(昭和41年)
  • 銀座と数寄屋橋のビアホールでは客の3割が女性。数寄屋橋のビアホールは、3年前から女性用の小ジョッキをつくっており、女性好みのグラス、料理も増やしている。
  • 忘年会が若者の間ではドンチャン騒ぎではなくレジャーの一つになっている(『読売新聞』11月27日)。
  • 1967年(昭和42年)
  • サントリー、フィルターで濾過した生ビール「サントリービール〈純生〉」発売。[4月20日]
  • 「(「父の日」)帰りがけに近くでウイスキーやカン入りビールを買ってもらうパパが結構多かったようですよ(新宿の伊勢丹従業員の談話)」(『読売新聞』6月19日)。
  • ビアガーデンやビアホールは夕方ともなると若い男女、中年のサラリーマンであふれる。ビールはすっかり生活にとけこんだ(『朝日新聞』7月13日)。
  • 1968年(昭和43年)
  • 冬でも売れるビール…1月の庫出量は昨年の12.5%の伸び(『読売新聞』2月4日)。
  • 酔わずに1人400円程度でマンモスバーで飲む「コンパ族」が若者の間で流行(『読売新聞』3月17日)。
  • 最近は特別人目を引くほどのこともなく、ビアホールの女性だけのグループが当たり前になってきた(『読売新聞』6月4日)。
  • クリスマスの過ごし方も年々変化している。ここ3〜4年は家族パーティー型へ移行している(『読売新聞』12月24日)。
  • 1969年(昭和44年)
  • サッポロビール、ビールテイスト飲料「サッポロライト」発売。[6月6日]
  • 朝日麦酒、ビールギフト券を発売。他の3社も翌年には発売。[6月25日]
  • アポロ11号が、人類初の月面着陸に成功。[7月20日]
  • 1970年(昭和45年)
  • 日本万国博覧会(大阪万博)開幕。[3月14日]
  • 自動販売機の急速な普及。この3年間で毎年30%の伸び、昨年末には92万5,170台に。
  • スーパーのことぶき食品(現・株式会社すかいらーく)が飲食業界に進出、東京・国立に「ドライブ・イン・スカイラーク」1号店を開店。[7月]
  • 日本ケンタッキー・フライド・チキン、7月に設立。11月、名古屋に1号店オープン。[11月]

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