観察力と筆まめを買われ遣米使節団入り
玉虫左太夫
水不足の最中、天の恵みとなったビール
遣米使節団が、ハワイ、アメリカ、香港などを経て地球を一周し、横浜に帰着したのは1860(万延元)年9月のこと。この半年以上にも及ぶ航海の間、玉虫は期待にたがわず、日々の記録を欠かすことがなかった。その克明詳細な日記は『航米日録』と題され、貴重な歴史資料として現在に残されている。「遣米使節乗船の図」(小野秀雄コレクション/東京大学大学院情報学環 蔵)
情報収集に携わった男の最期
帰国した彼は在外中の見聞を藩に報告、『航米日録』も献上し賞賜を得た。その後も彼の類いまれなる観察力と筆まめぶりは生かされ、藩命で他藩や海外情勢の情報収集に従事した。その膨大な記録は、維新に入ってからも重用されたという。航米日録
(玉虫左太夫著「航米日録」/沼田次郎校注『西洋見聞集』所収)
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