ビールを通じた外国人とのコミュニケーション
高橋是清(国立国会図書館 蔵)
視察先のドイツで受けた黒ビールのもてなし
その後、サンフランシスコで知遇を得た森有礼などの推薦により官僚となった高橋は、1884(明治17)年、創設されたばかりの商標登録所の初代所長に就任。さらに翌年には、同時期に作成していた専売特許条例の作成から発布までの貢献が認められ、初代専売特許所所長の地位に就く。特許制度やその組織を学ぶために、欧米に視察に行くことになったのは同じ年の冬だった。「ダルマ宰相」高橋是清のその後
こうした視察を経て日本の特許制度の整備に尽力した高橋だが、1889(明治22)年、農商務省の先輩である前田正名の依頼で、ペルーにある鉱山の経営者になるため特許局長の職を辞す。しかし、その鉱山は実はくず山だったことが判明。帰国したのち、責任を感じた前田の紹介で日本銀行に就職した。高橋が事務主任としてその建築に関わった日本銀行本店本館(1896年竣工)。設計者は英語学校時代の教え子である辰野金吾であった。
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