アルコールをこよなく愛した初代総理大臣
伊藤博文(国立国会図書館 蔵)
ドイツを模範とし日本初の憲法制定
日本を近代国家へと導いた伊藤の政治哲学は、三度の渡欧経験によってはぐくまれたといえる。一度目は1863(文久3)年、まだ数えで23歳だった伊藤は親友の井上馨らとともにイギリスへ密航した。西洋の学問や軍事を学ぶ目的であった。二度目は明治維新後の1871(明治4)年から1873(明治6)年にかけて、岩倉遣外使節団の一員としての渡航である。伊藤は使節団の中心人物として、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国をまわり、列強の実情を見聞した。ビール片手の社交パーティー
伊藤は、政治体制の近代化ばかりでなく、日本の生活習俗の西洋化にも取り組んだ。その象徴的な存在が「鹿鳴館」である。 鹿鳴館は外国人をもてなす迎賓館として、外務卿の井上が伊藤らと相談して建設したものである。列強諸国の外交官に対し日本が文明国であることを示し、また日本の生活習俗の西洋化を促進するために、しばしば夜会や舞踏会が催された。着慣れぬ洋装姿で集う政治家や婦人たち。伊藤も蝶ネクタイにドレス・コートの姿で頻繁に参加していたようだ。鹿鳴館で催された夜会の様子(GAS MUSEUM がす資料館 蔵)
おすすめ記事
RECOMMEND ARTICLES