「麒麟」印のビールの登場
荘田平五郎(三菱重工業株式会社長崎造船所 蔵)
学問の道から実業界へ
荘田平五郎は1847(弘化4)年、豊後国臼杵藩(現・大分県臼杵市)に生まれた。幼いころから藩校の秀才として知られ、数えで21歳の1867(慶応3)年、藩から選抜されて江戸の洋学塾に入門。一時期薩摩藩の開成所にも学び、1870(明治3)年には再び上京して福澤諭吉の慶應義塾に入塾する。わずか4カ月で学生の身分を卒業して教壇に立ち、大阪、京都での慶應義塾分校設立を任されるなど、福沢の深い信頼を得た。発売された当時の「キリンビール」ラベル
アルコールを愛した「箸箱」
荘田は、プライベートでも大変なアルコール好きであった。本人が江戸遊学中に記していた日記には、「そば屋に誘われてごちそうになり、大いに酔った」「友人と塾にて少し飲んだ」などの文章がたびたび見える。もちろん、三菱に入社して以降は、仕事で宴席を設けることも多かったことだろう。「当時の三菱には珍しい、英国風の紳士であった」といわれる荘田のこと、当時はまだハイカラだったビールを口にすることも少なからずあったことであろう。おすすめ記事
RECOMMEND ARTICLES