福沢諭吉が『西洋衣食住』でビールについて「胸膈を開く為に妙なり」(心を開くのによい)と述べているとおり、ビールは仲間とにぎやかに飲むのにふさわしい酒である。そのため暗いムードの流行歌に「ビール」の語が登場することはほとんどない。
明治20年代に大流行したビールが出てくる歌も、非常ににぎやかなものだった。「権利幸福きらひな人に 自由湯をば飲ましたい」で始まるその歌のタイトルは、「オッペケペ節」。壮士芝居の川上音二郎が作詞し、自ら歌ったのが大評判となり、それを見た自由民権運動の活動家たちが全国に広げた。
「オッペケペ節」でビールが出てくるのは2番である。
亭主の職業は知らないが おつむは当世の束髪で (略) むやみに西洋を鼻にかけ 日本酒なんぞは飲まれない ビールにブランデー ベルモット 腹にも馴れない洋食を やたらに食ふのもまけをしみ 内証でそーッと反吐ついて 真面目な顔してコーヒ飲む をかしいねえ オッペケぺー オッペケペッポーペッポーポー
当時は、西洋通を気取るには相当の資力が必要だった時代である。ここに出てくる洋食や洋酒は金持ちであることを示す存在であった。
明治30年代の政治批判の歌、『ホーカイ節』(鉄石浪士・詞)では、「別嬪の 世辞を肴に葡萄酒ブラン リキュー泡盛亀の年 ホーカイ 飲めばノビール鼻の下 スグニデレデレ」と、ビールと「鼻の下が伸びる」をかけて笑いを誘った。ここにあげられた酒を庶民が気軽に飲むようになるのは何十年も先のことである。